コミンテルン最強伝説〜『真実の朝鮮史【1868-2014】』

真実の朝鮮史【1868-2014】
今回、取り上げるのは、『真実の朝鮮史【1868-2014】』(宮脇 淳子・倉山 満著)だ。倉山満氏については、その著作を以下の記事で取り上げた。
『帝国憲法の真実』〜人生において何の役にも立たないことだけは約束します。 - davsの日記
『帝国憲法の真実』その2 - davsの日記

 彼が朝鮮史について書くのだから、ひどい内容だろうと想像していたが、想像していた以上にひどかった。共著者の宮脇淳子氏は東洋史学者だが、彼女のことは後で言及する。本書はこのふたりの対談形式で進行するが、関東大震災の時に発生した、朝鮮人虐殺について、倉山氏はこんなことを言う。

倉山 超重要な話で言うと、関東大震災の時の朝鮮人虐殺ってありますね。工藤美代子さんが書いているように、あれは明確にコミンテルンです。コミンテルンに躍らされた不逞鮮人が暴動を起こすんです。(後略)(p.102)

「不逞鮮人」という戦前の治安当局者が憑依したような物言いもひどいが、当時の流言をそのまま信じてしまっている。「工藤美代子さんが書いているように」というのは、『関東大震災朝鮮人虐殺」の真実』かどういうわけか加藤康男名義になっている『関東大震災朝鮮人虐殺」はなかった! 』のことだろう。工藤美代子/加藤康男の著作についてはサイト「「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか」のなかで検証されている。
工藤美代子/加藤康男「虐殺否定本」を検証する: はじめに
 上記の記事を読めば、倉山氏が根拠にしている本の質が分かるだろう。下の評価が全てを物語っている。

そもそも、9月1日に地震が発生したときに、それ以前からテロ・暴動を計画していた人々が急遽予定変更して混乱に乗じて各地でテロを行った―などという話をどうしてまともに信じられるのだろうか。火災が予想もつかないほどに拡大し、誰も彼もが逃げ惑っているときに、彼らはどうやって互いに連絡を取り、どうやって集まり、激変する状況に応じた新しい作戦を立て、指揮命令を伝達していたのか。当時でさえ、そんな話はばかばかしいと笑った人は大勢いたのに、90年後の今、それを真顔で主張し、それを本にして出す新聞社(産経新聞出版。工藤美代子による「旧版」の版元)があり、それを読んで信じる人々がいるとは、それこそ信じられない話である。

 ところで、倉山満氏は「工藤美代子さんが書いているように、あれは明確にコミンテルンです。」と言っているが、工藤美代子氏が謀略の主犯として名指ししているのは、朝鮮人抗日テロリストであって、ソ連や日本の社会主義者たちはそれを支援していたと言いたいようだ。言いたいようだ、とは、我ながら奥歯に物が挟まった言い方だが、工藤美代子氏の文が何が言いたいか分からないほど、明晰さを欠いているのだ。少なくとも、コミンテルンが謀略の主犯だと言ってはいない。工藤美代子氏は、他の場所でコミンテルンが暴動を扇動したと書いているのかも知れない。あるいは、倉山満氏は資料の引用に関して、池田信夫氏の弟子だという可能性もある。

宮脇氏も倉山氏に負けずに、こんな事を言う。

宮脇 ただ、謀略を説明するのは難しいです。謀略というのは最後まで証拠が出るわけがないから謀略なので、結果から類推したり、状況証拠で判断したり、誰が得をしたかを指摘する以外方法はありません。それを歴史と言われたら困るけれど、「こういうことが起こって、これは誰の得になりました」ということで説明するしかない。(p.103)

 こんな論法が認められるのならば、全てをコミンテルンの謀略で説明できてしまう。この本に出てくるコミンテルンは、日本の大学をのっとったり、日米を戦争に導いたり、無敵だ。こんなコミンテルンを擁していたソビエト連邦が、独ソ戦の当初、あんな無様な敗走をしたのか、理解に苦しむ。
 宮脇氏は謀略は最後まで露見しないと思っているようだが、実際は違う。関東軍が、満州事変を起こした時や、ドイツがポーランドと開戦した時の謀略は、あきらかになっている。ソビエト連邦が送り込んだ暗殺者が警察に自首したこともあった。

およそ歴史学者らしくないことを書く、宮脇氏だが、彼女の本を私も愛読していたことがある。

『最後の遊牧帝国―ジューンガル部の興亡 (講談社選書メチエ)』は、17、18世紀にかけて、栄えたジュンガル帝国の歴史をあつかったものだが、モンゴル帝国後のモンゴル帝国の後裔たちの歴史、モンゴル、チベット清帝国との関係を知ることのできる一般向けの書籍となるとこの本をまず挙げことになる。かように優れた本を書いた人間が、先のようなことを放言するとは、年月の経過が悪い方向に作用したということだろうか。

それでも、歴史修正主義者にNOと言わなければならない。

拙ブログで、従軍慰安婦問題や南京事件についての歴史修正主義的主張に対する反論をいくつか書いてきた。

正直に言えば、「従軍慰安婦は業者が勝手に連れてきた」とか「南京事件を目撃し、記録した外国人は国民党政府のエージェント」とか、ネットに書き込んでいる人間は、故意犯どころか、確信犯であるので、彼(彼女)らに、根拠を示して反論しても、歴史修正主義者が、そうした行為を止めることはまずないだろう。

それでは、彼らの主張に反論する意味がないか、ときかれると、反論しなければならないと答えるしかない。歴史修正主義者の言動を変えるためではなく、歴史修正主義者の主張に反論が存在することを、他の人間に知らせるためだ。

『暴力の人類史』(スティーブン・ピンカー) に、狂信的で非合理な信念が、人々を取り込んでしまうメカニズムについての記述がある。(下巻pp.336-345)


こうした信念が社会を支配するためには、構成員の多くが、それを支持することは実は、必要でない。多くの人間が、自分以外の人間は、その信念を支持しており、その信念を認めない異端者は制裁を受ける、という予想を抱いていればよい。そして、その信念に賛同していないにも関わらず、周囲に自分が制裁の対象でないことを示すために、その信念を認めない人間を罰するようになる。こうなると、誤った順応と誤った強制が互いに悪循環を生んで、誰も受け入れていないような信念が社会をのっとってしまう。

これを現実の社会にあてはめるのは、さほど無理やりなことではない。政治学者のジェームズ・L・ペインは、20世紀のドイツ、イタリア、日本で、ファッショ的なイデオロギーが国を席巻した共通の経緯を例証している。いずれの場合でも、少数の狂信者の集団が「暴力も含めた極端な手段をも正当化する純真で威勢のいいイデオロギー」を掲げ、喜んで暴力を遂行してくれるならず者の一団を取り込んで、残りの国民を威嚇し、しかたなく黙認する層をじわじわと増やしていったのだ。(下巻p.342)

 ここまで大きな話ではなくても、皆が嫌だと考えていることが、その嫌だと考えている皆によって強制される、というのは日本の職場でよく見る光景である。

  1. 従業員のほとんどが、サービス残業はやりたくないと考えている。
  2. 従業員のほとんどが、自分以外の従業員は、サービス残業は必要であると考えており、サービス残業をしない人間のことを「自分勝手な奴だ」といじめのターゲットにすると予想している。
  3. サービス残業をしない従業員が出ると、自分が他の従業員から、イジメのターゲットにされないように、「あいつは自分勝手な奴だ」とサービス残業をしない彼(彼女)をいじめのターゲットにする。
  4. それを見た他の従業員は、サービス残業をしないと「自分勝手な奴だ」といじめのターゲットになるのだ、という予想を強化してしまう。

 かくして誰も望まないまま、サービス残業が、横にらみで強制されてしまう。

 歴史修正主義的な主張も、あいつらには、どうせ、反論しても通じないから、と放置していたら、「南京事件はなかった」とか「従軍慰安婦は業者が勝手に連れてきた」と、皆が考えている、という考えが、広がっていく可能性がある。そうなると、私もその考えに同調しなければならない、それに同調しない人間に制裁を加えなければならない、という人間も増えるだろう。

 イザナギではないが、歴史修正主義者が1000のデタラメを言ったら、1500の本当のことを言うしかないだろう。

 

慰安婦が性奴隷かどうかは内心の問題ではない。

自らの歴史修正主義的な意見を、他人からの批判から守るために思想信条や内心の自由を持ち出す人がいる。



 慰安婦が性奴隷か否かは、歴史学的に事実かどうか、決着がつく問題であって、「人それぞれの見解による」変わるものではない。ジャイアントパンダよりコアラの方が可愛い、と考えるのは、個々人の内心の問題だが、コアラが有袋類であることは、個々人の内心によって変わるものではないのと同様だ。慰安婦が性奴隷でない、という主張は、内心の問題だから、批判するな、というのであれば、「慰安婦は性奴隷である」という主張も内心の問題だから批判してはならないということになって、山本⑧平氏の言っていることとはなはだしく矛盾する。

 山本⑧平氏が、従軍慰安婦は奴隷ではない、と主張するなら、おそらく、以下のふたつの方法があるだろう。

  1. 人身売買され強制労働させられている人間は、奴隷ではない、と奴隷の定義を変えてしまう。(もちろん、その定義は、他の奴隷制にも整合的にあてはまらなければならない)
  2. 従軍慰安婦が、自らの意思に反する売春を強いられておらず、自らが望めばその仕事をやめることができた、ということを資料で示す。

 山本⑧平氏は1の方法を選択したようだが、それは当時は合法だったから、従軍慰安婦制度も戦前日本の公娼制奴隷制ではない、という実に奇怪なものだった。しかも、私との議論においてだけでなく、あちこちでその奇怪な主張を展開している。



 当時、人身売買が「公序良俗の範囲内」だったかも疑問はあるが、合法だったら奴隷制ではないとすると、合法的な奴隷制、例えば19世紀前半にあったアメリカ合衆国奴隷制奴隷制は、どうなるのか、という疑問が自然に出る。今度は「当時の人間の認識」を根拠に持ち出した。「慰安婦の場合、当時の日本社会も彼女ら自身にも性奴隷との認識」がなかったから、慰安婦は性奴隷と呼べないと言うのだ。

 Aのことを当時Xとは認識していなかったから、現在の人間はAはXであると言ってはいけない、という主張が正しいとなるとどういうことが起こるか。高杉晋作の存命中は、「長州藩士」とは言われてなかったから、彼は長州藩士ではない。「第一次世界大戦」のことを、当時の人間は「一度目の」世界大戦とは認識していなかったから、第一次世界大戦第一次世界大戦と呼んではならない。推古天皇シルクロードも駄目だ。

 つじつまがあわないことを全力で主張する人間が存在することを、知ることができた、というのはひとつの収穫だった。

そもそもまとめのタイトルがおかしい〜AP通信の影山優理記者の記事についてのまとめ

前回の記事で言及した池田信夫氏の記事は、AP通信の影山優理記者の記事が発端だったが、その記事を探していると、以下のまとめサイトにたどりついた。

AP通信・影山記者は「日本軍が強制連行した」という記事を未だに発信 - Togetterまとめ

従軍慰安婦問題否定論者は、議論の場を、朝鮮半島において、官憲による暴力を用いた慰安婦の連行があったか、あるいはそうした連行を裏付ける公文書があるか、という狭小なものにしたがるのだが、このまとめ記事もその例にあたはまる。

 まとめで言及されている影山記者の記事はアンジェリーナ・ジョリー監督の映画『不屈の男 アンブロークン』がついに日本で公開されたというものだ。
http://bigstory.ap.org/article/e44e64dfffa147c39e9c3f1289276165/angelina-jolies-film-unbroken-finally-opens-japan
 この映画が「反日」として、攻撃されたこと、その背景の日本軍の蛮行を認めない風潮についての記事だ。従軍慰安婦については、「彼ら(日本軍の蛮行を認めない人々:引用者)は、アジア諸国、特に朝鮮の女性が、日本軍によって売春を強制されたことを示す歴史研究を拒絶する。あるものは、国際連合が使用する「性奴隷」という用語に反対して、婉曲語の「慰安婦」を好む」と書いている。「日本軍が強制連行した」という記述はない。あきらかに、まとめのタイトルはおかしい。記事の内容の一部でしかない、慰安婦問題についての記述すら、反映していない。

前回の記事で書いた通り、池田信夫氏は「影山記者のいう「日本軍の連行した性奴隷」は、どこにいたのか。その証拠はどこにあるのか。」と書いていたが、これに対応する影山記者の記事は、どれなのだろう。あるいは、例の「池田信夫の第2法則」なのだろうか。

影山氏の記事は、従軍慰安婦問題については、例えば河野談話からはみ出ている訳ではないし、「性奴隷」という用語に反対している人は、「慰安婦」という婉曲語をとびこえて、自発的な金目当ての売春婦と言い募っているのが、現状だから、むしろ、おだやかとさえ言える。

”women were forced into prostitution by the Japanese military” 韓国女性の場合、親が売り業者が強制したのは明らか。何故「日本軍が強制した」という嘘を世界に喧伝するの?

 CatNA@CatNewsAgency氏は、「大坂城を建てたのは誰ですか?」という問いに、「大工さん!」と答えるのだろう。なるほど、こうした場合、「豊臣秀吉が建てさせた」という使役形でしか表現できない言語もある。しかし、「日本軍が業者に強制させた」と言いかえても、日本軍の責任がいささかも軽くなるわけではない。

うちの奴隷制はよい奴隷制〜『イスラーム史のなかの奴隷 』

http://www.asahi.com/articles/ASJ2L7JGBJ2LUHBI02H.html
上の記事の杉山晋輔外務審議官は、「なお、「性奴隷」といった表現は事実に反します。」と言いつつ、その根拠を述べていないが、彼と同様に従軍慰安婦は奴隷ではないという人の多くは、慰安婦が好待遇だったという説を持ち出す。(変わったところでは、当時の日本の感覚では、奴隷ではなかった、とか、身売りは人身売買と違って合法だった、という人もいる)そうした人のイメージする奴隷は、おそらく、映画『ベンハー』でガレー船を漕ぐ奴隷のようにむち打たれて働かされるというものだのだろう。

 そうしたイメージにあてはまらない奴隷の姿が、『イスラーム史のなかの奴隷 (世界史リブレット)』で描かれている。君主の身辺を守る奴隷軍人、というものは、先に述べたような奴隷のイメージからは、想像しにくいだろう。


例えば「イスラーム奴隷制は近代アメリカの奴隷制とは違う」という認識を、当時のムスリムももっていたらしい。近代にヨーロッパ世界が奴隷制廃止の要求を突きつけたことに対し、オスマン帝国の高官が、「われわれの奴隷制はあなた方の奴隷制とは違う。アメリカの黒人奴隷たちのような過酷な奴隷制などイスラーム社会には存在しないのだ」と言ったエピソードが紹介されている。このオスマン帝国の高官の主張は、現代でも人権侵害を批判された側がよくいう言い訳と共通する構造を持っているし、イスラーム社会の奴隷も所有者に生殺与奪の権をにぎられ、暴力をふるわれ、(特に女性の奴隷は)性的に搾取される存在だった。

イスラーム社会の奴隷が特殊だった訳でなく、

  1. 古代地中海・メソポタミア社会
  2. ローマ帝国
  3. ローマ帝国の南方継承国家としてのイスラーム社会
  4. イスラーム圏のポルトガル・スペイン
  5. アメリカ大陸

という連続線があるのだという。

しかしながら、一方で、いったん奴隷制を批判する思想が広がると、急速に奴隷制自体をイスラーム法によって否定するという、クルアーン解釈のもつ柔軟性も指摘されている。

「その証拠はどこにあるのか。」ってお前が言うか〜久しぶりの池田信夫氏

久しぶりに池田信夫氏が従軍慰安婦問題について書いていた。
AP通信の影山優理記者は「正義」なのか – アゴラ

期待に背かず(?)最初から飛ばしてくれる。

NYTなど欧米メディアが、朝日新聞の「自白」で慰安婦問題についての報道をトーンダウンさせた中で、AP通信はいまだにsex slaveの記事を世界に配信している。

「トーンダウン」したニューヨークタイムズの記事というのは、以前紹介したこの記事のことだろうか。池田信夫氏のような歴史修正主義者を批判する記事なのだが。

影山記者のいう「日本軍の連行した性奴隷」は、どこにいたのか。その証拠はどこにあるのか。

 池田信夫氏は、「日本軍の連行した性奴隷」はいなかった。つまり従軍慰安婦は、日本軍が集めた性奴隷ではなかったと主張したいのだろう。
 池田氏は、自分の主張のために以下の2点を証明しなければならないだろう。

  1. 慰安婦の募集には、日本軍の意思がはたらいていない。
  2. 慰安婦には、その意思に反して、慰安婦にされたり、軍慰安所で働かされていた女性がいなかった。

2については、甘くして、珍しかったとしてもいいが、1、2とも、それを否定する資料が存在するのだから、話にならない。「その証拠はどこにあるのか。」というのは、池田氏が答えなければならない問いである。

ああ、自動ミルク製造機がほしい

 子どもが生後6ヶ月をこえ、離乳食を食べはじめたが、妻と分担して日に5回の授乳はかかせない。(わが家は完全ミルク育児なのだ)ヒトもほ乳類である以上、仕方ないとは言え、これが結構面倒くさい。

  1. 手をよく洗う。
  2. 水を沸騰させる。
  3. ほ乳瓶に規定量の粉ミルクを計量スプーンで入れる。
  4. 摂氏70度以上の湯で、粉ミルクを溶かす。
  5. ほ乳瓶を水につけるなどして、体温ぐらいまで冷ます。

 この過程を時には、子どもの泣き声をBGMにしながら、迅速にこなさなくてはならない。

 私など、3のところで、ほ乳瓶に入れた粉ミルクの量を把握できなくなって、思考がとまってしまったことが、何度もあった。何しろ、粉ミルク缶に付いている計量スプーンは、一杯がミルク20cc分なのだ。これで例えば200cc分をはかるためには、10回、粉ミルク缶からほ乳瓶に粉ミルクを移さなくてはならない。この作業中に、話しかけられたりするのは、恐ろしいことだ。まず確実に「今、何杯目だったっけ」ということになる。一度にもっと多くの粉ミルクをはかることができる計量スプーンはないものか探して、粉ミルクの製造会社に問い合わせてみたら、送料をこちらが負担する条件で、50cc用の計量スプーンを送ってくれたので、この計量問題は大幅に楽になった。

 5の冷却もやっかいで、流水で冷やせば、はやいのだが、水道料金もかさむし、冬場は手がかじかむので、もっぱら、下の画像のようなステンレスのビーカーに、氷水を入れて中でほ乳瓶を回転させている。なぜ、回転させた方が冷えるのかは、回転式缶ビール冷却器のこととして説明が、こちらのサイトに書いてある。

 しかし、コーヒーメーカや給茶機があるのだから、粉ミルクと水を入れておいたら、自動的に適温のミルクをつくる、自動ミルク製造機がないのは、一体どうした訳なのだろう。何か技術的な壁があるのだろうか。乳児が飲むものだから、厳しい衛生上の問題があって、それがクリアできないのだろうか。