大量殺戮には必ず、アウシュヴィッツ並の施設が必要などということはない〜『再審「南京大虐殺」』のおかしな論理

下のいかにもな雑誌を立ち読みしていたら、アウシュヴィッツを引きあいに出した南京事件否定論にあたった。

アウシュヴィッツですら、殺害数は一日平均710人であったのに、一日に数万殺すためにはアウシュヴィッツ並の施設がいくつも必要となるはずだ、というものだ。南京事件について、言われているような大虐殺をするためには、原爆が必要、という否定論があるが、アウシュヴィッツ南京事件否定論に持ち出されるものらしい。この主張を調べてみると、下の本にまで行き着いた。(漢数字は、算用数字に改めた)

再審「南京大虐殺」―世界に訴える日本の冤罪

再審「南京大虐殺」―世界に訴える日本の冤罪


 大量殺害施設として名高いナチスのアウシュヴッツでさえ、殺害数は一日平均710人であった。一日平均3万8千人も殺害するためには、アウシュヴッツ並の施設が53箇所も必要となる。もちろんそんな施設はなかった。
 この本に上記のような記述があるが、おかしなところがふたつある。
 ひとつは、算術平均を勝手に上限値とみなしていること。先に引用した論理が成立するのは、アウシュヴィッツで、毎日、判で押したように710人が殺されていた時だけだ。アウシュヴィッツは、当初、ポーランド政治犯を収容していたし、近くの化学プラントでの強制労働に従事させられていた被収容者もいた。一日710人というのが上限値であったはずがない。例えば、連れて来られた人々を到着してすぐに殺戮するためだけに建設されたトレブリンカ強制収容所では、一日当たり1600人以上の人間が殺されている。
 
ふたつめは、人間を大量殺害するためには、必ず、アウシュヴィッツ並の施設が必要である、という前提をおいていること。むろん、そんなことはない。1945年3月10日の東京大空襲では、十万人もの死者が出た。『再審「南京大虐殺」』の論理が正しければ、アウシュヴィッツ並の施設が東京に140個も必要になる。もちろんそんな施設はなかった。それは、航空機と焼夷弾を使ったからで、装備の劣る日本軍にはできない、という人間がいるかもしれない。それでは、紀元前216年のカンナエの戦いでは、数万のローマ軍が一日の戦いで、カルタゴ軍に殺された。もちろん、カルタゴ軍は人間の筋力に頼るような武器しか持っていなかったし、同等の武器で抵抗するローマ軍を相手にした結果だ。もちろん、当時のイタリア半島にはアウシュヴィッツのような絶滅収容所はない。

 いずれにせよ、アウシュヴィッツですら、殺害数は一日平均710人であったのに、というのは、もっともらしい数字をいじくる、南京事件否定論のひとつであるというしかない。

 

それなら、再分配政策しかないじゃないか。

そもそも、ピーター・シンガーの意見に賛同できない〜ふたたび障害児の排除について - davsの日記
上記の記事で言及した作家の橘玲氏が、経済格差は遺伝に起因するという記事を書いていた。

非正規という身分で差別 貧困層に落ちていく希少性を持たない若者 - ライブドアニュース

前回は、障害をもった子どもを排除する主張への抗議を、「空虚なヒューマニズム」と冷笑するために、ピーター・シンガーを紹介していたが、今回は彼が持ち出したのは、以下のような遺伝と知能と経済的成功との関係についての主張だ。

 知識社会における経済格差は知能の格差だ。知識社会とは、定義上、知能の高いひとが経済的に成功できる社会のことだ。だからこそ、「教育によってすべての国民の知能を高める」という理想論が唱えられるのだが、いまやその前提は崩壊しかけている。

 先進国で社会が二極化するのは、知識社会が、知能の高いひととそうでないひとを分断するからだ。知能のちがいは、環境ではなく遺伝によってほぼ説明できる。だからこそ、どれほど教育にちからを注いでも経済格差は拡大するのだ。

 橘氏は、前回の記事もそうであるが、他人の主張は書くけれど、自分自身の主張をはっきりと書かいていない。だから彼が記事で言いたいことは想像するしかないが、彼は自分が紹介した遺伝と知能についての主張に賛同しており、経済格差を是正しようとする、こころみは間違っているという方向に読み手を誘導しようとしているのだろう。

 しかし、橘玲氏が、紹介した主張が正しいとしても、そこからは、経済格差を是正すべきでない、と結論を導くことは出来ない。むしろ、高所得者から、累進課税(高額の相続税でもよいが)で、低所得者に財を再分配すべき、という主張の強力な根拠ともなる。

 そんな馬鹿な、なんで俺の努力で稼いだ金を、怠け者の貧乏人に取られなければならないんど、という人間もいるだろう。しかし、こういう反論に直面することになる。おや、あなたがお金持ちになったのは、たまたま遺伝で知能に恵まれたおかげですよね。努力のたまものではありませんよ。貧しい人は、遺伝に恵まれず、貧しくなったわけで、自分ではどうしようもない理由で、貧しいわけです。たまたま運がよかった、あなたがより多く負担することに何か問題でもあるのですか。

 橘玲氏が、紹介した主張が正しいとすると、経済的な成功者は、たまたまの遺伝でその成功を手にした訳で、その富を独占する理由はない。また、貧しい人は、責任を問うことができない理由で貧しい訳だ。

蝶々トンボも鳥のうち

過日、下のようなツィートを投稿したところ、意外なほど多くの反応をいただいた。



上のような反論も出てくることは、予想していたが、このtiger_L.E.O.氏は、想像を絶するようなことを言い出した。私が「左翼思想が嫌いな奴は、8時間労働制や最低賃金制による保護を受けるな」と言っていると言い出したのである。ご丁寧に、私のツィートのスクリーンショットまで保存していることをみると、自分の主張の正しさを確信しているようだ。

 言うまでもないが、私は「自衛隊を批判する奴は、自衛隊による災害救助活動を受けるな」という主張は、「左翼思想が嫌いな奴は、8時間労働制や最低賃金制による保護を受けるな」という主張と同じように間違っている、と言っている。

 日本軍の補給軽視を言うときに、よく持ち出される「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち〜」というざれ歌があったが、これも蝶々もトンボも鳥であると言う意味だ、ととる人がいるということだろう。

中国海軍が機雷敷設でシーレーンを封鎖!〜でも、一体、どこにどうやって敷設するのだろう。

 中国脅威論は右派メディアの定番のコンテンツだが、1980年代のソ連脅威論の焼き直しというべきだろう。中国脅威論とかつてのソ連脅威論が、大きくと違うのは相手の軍事力に対する評価だ。かつてのソ連脅威論では、ソ連軍は強大さを強調することが常のことだった。いわく、ソ連空軍は強大で、有事になったら航空自衛隊は1週間で壊滅する、とか、ソ連軍の自動車化狙撃師団は、陸上自衛隊の師団より、火力も機動力も圧倒的に優れており、それが北海道を占領するために上陸してくる。などと言われていたものだ。ところが、これが中国が相手になると、中国軍は弱い、戦争になれば自衛隊が勝つ、と言った楽観的、威勢のいい主張が目立つ。むしろ、戦争になったら中国を目にもの見せてやれるのにと思っている人が多い。

従って、下のように中国海軍が侮れないという下のような記事は珍しい。
【田中靖人の中国軍事情勢】実は侮れない中国海軍の新型機雷…もし大量敷設でシーレーンを封鎖されたら?(1/6ページ) - 産経ニュース

 中国海軍が機雷を大量に敷設してシーレーン(文脈からすれば、日本のシーレーンのことだと考えられるが、記事中にあきらかな記述がない)を封鎖するというタイトルだが、はっきり言えばタイトル倒れとしか、言いようがない。機雷で日本のシーレーンを封鎖するには、上海の沖に機雷を敷設しても駄目で、例として出されている、米軍が実施した「飢餓作戦」のように関門海峡や瀬戸内海に機雷を敷設しなければならない。太平洋戦争末期の米軍はB29で機雷を敷設したが、それを日本軍は阻止できなかった。また、機雷そのものも、日本軍が除去できない起爆方式のものだった。

 中国海軍が機雷を大量に敷設して日本のシーレーンを封鎖する、というのなら、中国海軍が日本側に妨害されずに、日本側に除去できない機雷を敷設できる能力があることを書かなければいけないが、漁船を改装して機雷敷設に使える、と言う程度のことしか書いていない。さらに、記事の最後に「(機雷戦について)世界最高水準の実力を持つ海上自衛隊の役割に注目が集まることになる。」と自衛隊の機雷戦能力の高さをうたっているのだから、やはりタイトル倒れの記事というしかない。

池田信夫氏の誤解している「三段論法」

 池田信夫氏は立憲主義も三段論法も誤解しているようだ。
池田信夫 blog : 朝日新聞論説主幹・根本清樹氏の誤解している「立憲主義」
池田信夫氏は、憲法は一般の国民ではなく、国家権力を縛るものだ、という立憲主義の考えに反対して、国民は憲法を守らなければならならないと主張する。
その根拠として下のような論理を持ち出す。

すべての法律は憲法に適合しなければならないのだから、その法律を守る国民は憲法を守らなければならない。これは自明の三段論法である。

 三段論法の形式にすらなっていない。

 池田氏にサービスして、三段論法の形式になおすとこうなるだろう。

  • 大前提: すべての法律は憲法に適合しなければならない。
  • 小前提: 国民は法律を守らなければならない。
  • 結論 : ゆえに国民は憲法を守らなければならない。

 一見して、池田氏の「三段論法」が誤っていることが分かる。大前提も小前提も、それぞれは正しいが、結論が誤っている。池田氏の論理は、次のような詭弁と類似したものだ。

  • 大前提: 「グー」は「チョキ」に勝つ。
  • 小前提: 「チョキ」は「パー」に勝つ。
  • 結論 : ゆえに「グー」は「パー」に勝つ。

 上の結論は、われわれがよく知っているジャンケンのルールに反している。上の詭弁は、ジャンケンのそれぞれの手が、一直線に並ぶような強さを持っており、その強さで勝敗が決まる、という誤った前提を置いているのだ。池田氏憲法>法律>国民と直線上に制約の力がはたらくという前提を、断りなしにおいているが、そのような前提は誤りだ。
 例えば、憲法36条で公務員による拷問が禁止されており、これがあるゆえに、警察官による拷問を認めるような法律は制定することはできない。しかし、国民はこの条文によって何ならかの義務を課せられているわけではない。

憲法に関して、正しい三段論法をつくると下のようなものになるだろう。

  • 大前提: 公務員は、憲法を尊重し擁護しなければならない。
  • 小前提: 安倍首相は公務員である。
  • 結論 : ゆえに安倍首相は憲法を尊重し擁護しなければならない。

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せめて歴史修正主義者の方々で意見を統一してほしい。〜『別冊正論26「南京」斬り』

『別冊正論26「南京」斬り』を読んでみた。南京事件についての歴史修正主義的な主張がこれでもか、とばかりに載せられている。バラエティに富んでいるといえるが、それぞれの記事に互いに矛盾した記述がある。
 例えば、南京事件否定論では定番とも言える「便衣兵問題」だが、これについて黒鉄ヒロシ氏、早坂隆氏は、以下のように、日本軍が民間人に変装した中国兵に攻撃されたと述べている。そして東中野修道は以下のように書いている。黒鉄ヒロシ氏、早坂隆氏
黒鉄ヒロシ

この数が、民間人に成り済まして懐ろに小火器などを隠した便衣(民服)兵となったら、市街地に於けるゲリラ戦が待ち受けている。事実、便衣兵の手榴弾などで日本兵が何度も襲撃されている。(p.17)

早坂隆氏

安全地帯に身を潜めながら、便衣兵たちは反撃の機会を窺った。庶民の中に紛れた彼らは、時に一転して日本軍に攻撃を加えてきた。(p.221)

一方、東中野修道氏は、軍服を脱いで私服を着ていた中国兵は、敵対攻撃を行うことを目的に民間人を装った「私服狙撃隊」ではなかったとする。ここから、東中野修道氏は、だから、「便衣姿の兵士」を裁判なしに殺してもよかったのだ、といった論を展開する。私も、東中野修道氏の主張を紹介しているが、まるで理解できない。この東中野修道氏の論理については、以下のサイトに詳しい。
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen8.html
http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen9.html

南京で捕らえられた中国兵のなかに「便衣隊」つまり私服狙撃隊がいたであろうか。南京の安全地帯には軍服を脱ぎ私服で市民になりすました正規兵、つまり「便衣姿の兵士」はいたが、「私服狙撃者」としての「便衣隊」がいたとは寡聞にして知らない。(p.61)

 前の二者と同じく、東中野修道氏も捕虜や敗残兵の殺害を正当化しようとしているが、主張の根拠となる「事実」が互いに矛盾している。

 他にも、南京事件は1970年代に日本で話題になった後に、中国が問題としだした、という主張があるかと思えば、1938年に中国が国際連盟で問題を提起していたという記述もある。南京事件はファンタジーと断じている文もあれば、捕虜・敗残兵・便衣兵は、それぞれ捕らえた部隊が射殺・刺殺などにより処断したと書いてあるものもある。
 この『別冊正論26「南京」斬り』を読んでみても、1937年12月の南京で何があったか、理解できるものではない。歴史修正主義は自分の神話に都合の悪い歴史的事実を否定したいという欲望に奉仕するものだから、仕方ないのかも知れない。

赤紙=召集令状について、左翼がデマを流しているというデマ

トリヴィアは所詮トリヴィア - Apeman’s diary
 上のApeman氏の記事にもあるように、左翼が「赤紙」について、印象操作を行って、徴兵制への不安を煽っている、という主張がある。
ちなみに「赤紙サヨク」でgoogle検索してみたら下のような結果だ。
赤紙 サヨク - Google 検索

そのうちの1つにこんなことが書いてある。
http://tawagoto2.seesaa.net/article/418334800.html

赤紙一枚で戦地送り」というよくある表現からは、第二次大戦末期の日本では誰彼構わず召集令状(赤紙)が届くと「お国のために」としか言えず、強制的に軍隊に入れられ戦地に送られたかのような印象を持ちます。
以前からうすうすおかしいと感じていた表現ですが、よく調べてみるとやっぱりサヨク独自の偏向・印象操作でした。
そもそも召集令状赤紙とは「軍隊が在郷将兵召集のために出した令状」です。
赤紙が送られる対象は在郷将兵=兵役を終えた民間人、つまり徴兵制度により兵役を終え一民間人として生活している軍隊経験のある民間人です。
(中略) 徴兵されず兵役を免除された人は帝国陸海軍OBではないので赤紙は届きませんし、徴兵前の男子も帝国陸海軍OBではないので赤紙は来ません。
左翼勢力が大げさに言う「赤紙一枚で地獄行き」の赤紙はOBにしか届かないものであり、軍隊経験のない一般人には決して届かないものなのです。

 上記の記述のどこがおかしいか、説明するには、少し回り道する必要がある。大日本帝国では、一定の年齢に達した男子全てが徴兵検査を受け、兵士としての適性を判定される。甲・乙・丙・丁・戊の5種に分類されるが、このうち、甲種と乙種が現役に適する、いわば「合格」である。しかし、その全てが現役兵として兵営に入れられるわけではない。軍の予算等の制限があるし、平時に膨大な兵員を抱えているわけにはいかない。
『天皇の軍隊 (講談社学術文庫)』(大濱 徹也)に昭和12年から20年の種別人員数と徴集者数についての表が掲載されているので、昭和12年分を抜き出してみる。

甲種人員153,000
徴集数153,000
乙種人員470,635
徴集数17,000
丙種人員89,091
丁種人員22,272
戊種人員7,424
合計人員742,422
徴集数170,000
徴集率22.9%

 昭和12年=1937年は日中戦争が始まった年だ。この年は、甲種合格者は全員だが、乙種合格者は、その3.6パーセントが入営しただけだ。入営すると、2年現役をつとめた後、15年4か月の間、予備役・後備役(1941年から予備役に合一)となる。先に紹介した「召集令状(いわゆる赤紙)についての印象操作」では、「赤紙」が来るのは、この予備役の人間だけなのだから、「赤紙一枚で戦地送り」というのは、左翼の印象操作だと言っていることになる。しかし、兵役を終えた時に志願して予備役になるわけではないのだ。強制的に予備役に繰り込まれ、戦時には招集されるのだから、自らの意思とは関係なく「赤紙一枚」で戦地に送り込まれることには違いない。

入営しなかった人はどうなるのか?

 さらに問題は、「徴兵されず兵役を免除された人は帝国陸海軍OBではないので赤紙は届きません」という記述だ。これが心身の障害のために、兵役に適さずとされた丁種のことであれば、それは正しい。しかし、入営しなかった乙種や丙種のことであれば、誤りだ。例えば入営を免れた乙種合格者(6割以上の人がこのカテゴリーに入っている)は、17年4か月の間、補充兵役に服することになる。彼らも招集の対象であったし、日中戦争において実際に「赤紙一枚で戦地送り」にされた。服役期間が15年4か月や17年4か月と、4か月の端数がついているのは、新兵がなんとか戦力になるのに3か月かかるため、そのギャップを埋めるためだ。

 記事には、日本母親大会連絡会・東京母親大会連絡会の「赤紙」を模した宣伝ビラの画像が掲載されているが、「第一補充陸軍歩兵」あての召集令状という設定で、まさしく軍隊経験のない一般人に届いた「赤紙」である。
 自らの主張の誤りであることを示す資料を載せているのだ。

 左翼が「赤紙」について、印象操作を行っている! という主張のいずれもが、「赤紙」は予備役にしか届かない、と共通して言っているが、誰かが言い出したことを、鵜呑みにして勝ち散らしているのだろう。
http://www.jgnn.net/ls/2016/03/post-12947.html#PfUaAYK.twitter_tweet_count_m
上記に悪い冗談としか思えないことが書いてある。

...ああ、ということは逆に考えれば、赤紙を徴兵制云々と結び付けて「使っている」人は、多分に「内情を知らない、調べていない」「イメージだけで云々している」のいずれかということになるのかな。