「プリキュアの報道は妥当」は妥当ではない。

他人の内面に手を突っ込んで、他人を変えることが好きな人がいることよ。

「プリキュアの報道は妥当」(http://agora-web.jp/archives/1485568.html))

「犯人はプリキュア好き」という報道から、「アニメと幼女に対する性犯罪」についての考え方を整理すると
  1.相関がない
    「アニメと幼女に対する性犯罪」は何の関係もない。
  2.相関があって因果関係はない
    幼女に犯罪を犯すような人はアニメを好む傾向が強い。
  3.正の因果関係がある
    アニメを観ることによって幼女に犯罪を犯すようになる。
  4.負の因果関係がある
    アニメで幼女に対する劣情を昇華できる。
  5.とにかくむかつく
    (分からなくはないですが……)
マスコミの報道や識者のコメントは、2か3のイメージ(仮説)を持ってなされています。
私は2のイメージを持っていましたが、議論?のお陰で4になりました。
マスコミや憤りの声を上げている人が非常に多くいますが、いったい、どのような立場で憤りの声を上げているのか分かりません。(つまり、5じゃないかと考えます)
いや、たいていは、1だと思うぞ。アニメファンを犯罪者と同一視するなという抗議だろう。

(前略)尤も、統計データに基づくものではなく、仮説であり印象に過ぎません。

が、仮説を語ってはいけない、印象を語ってはいけない。ということはないのです。
もし、「報道が気に入らない」と考えるのであれば「ほぼ1倍である(相関はない)」とデータを示すか、「ほぼ1倍である」という仮説を立てて、相手の仮説を崩すしかありません。
存在しないことは悪魔の証明ですが「相関がないこと」を証明するのは悪魔の証明ではないのです。

ところが、その様なデータは存在しないようですし、出てくる反論は「犯罪者のほとんどが米を食べていた」とか、「犯罪者のほとんどが水を飲んでいた」のようなもので、それら例と比較すれば、「犯人はプリキュア好き」という報道の正当性を証明することにしかなりません。「10〜数十倍になるだろう」という仮説(イメージ)を持っているマスコミや、私を含む多くの読者(視聴者)には、何の説得材料にもなり得ないのです。
それどころか「やっぱり彼らとは話が通じないし、怖い存在だ」というような、逆の印象しか与えないでしょう。

こういう場合、挙証責任を負うのは、「アニメと幼女に対する性犯罪」に関係があると主張する側だろう。疑いをかけられた側が自分の無実を証明する義務はない。
しかし、いろんな人の意見を聞いて、私は「減らす方の因果関係があるんだろう」つまり、「劣情を昇華するために使っている人が多くいる」と考える様になりました。
じゃあ、いいじゃないか。と思ったら、
性癖は人それぞれで、そういう性癖の人は可哀想ではありますが「幼女(幼児)に対して性的興奮を覚えるという性癖」は、存在自体が許されない社会悪となります。(中略)「幼女(幼児)に対して性的興奮を覚える」ことは、治療が必要な性嗜好障害という病気です。であるなら治療が必要です。
病気になったことは不幸なことで不可抗力ではありますが、病気を治療しない自由も、病的な趣味を満たす権利もないのです。
と、恐ろしげなことを書いてくれる。現実に「病的な趣味を満たす」のは許されないだろうが、アニメなりで欲望を発散できるのなら、何ら問題はないはずだ。ところが、この人はそうした嗜好を持つこと自体を許されないと言っているのだ。
他者に危害を加えない限り、どんな嗜好を持ってもかまわないという線を守らなければ、どんどん内面への侵害が許されることになってしまうだろう。
「○○と、考えるやつは病気だ。病気を治療しない自由はない」。この「○○」に何でも代入できてしまう。、