再びプリキュア報道を巡って

前回の記事の後、さらに生島勘富氏が記事を載せていたので、私も前回の補足も含めて、書いてみる。
『正しさ(善悪)はイロイロ』(http://agora-web.jp/archives/1486225.html)

命題が違うというのは、本来は権利のぶつかり合いで、社会的に「その命題が正しいか」から入る必要があります。
??? これは日本語なんだろうが、全く意味が取れなかった。「命題が違う」イコール「権利のぶつかり合い」という理解でいいのかな。まあ、ここを飛ばして先に行こう。
原発放射能)の問題は、本来は命題が一致しているはずですから「科学的な正しさ」を第一にすべきですが、プリキュア報道の問題は、単なる権利と権利のぶつかり合いですから、科学的に答えの出る問題ではありません。

権利と権利のぶつかり合いでは、まずは社会的な善悪で考え、それで決着が付かないとき、法的に考える必要があるのです。

いや、他人の権利を制限するなら科学的根拠が必要だと思うぞ。生島勘富氏の言うところの「社会的善悪」によって、「権利と権利のぶつかり合い」の解決をめざしたら、社会的な多数派が少数派をおさえつけるのが、オチになりそうだ。
あらゆる報道は偏向報道です。例えば、新聞の一面記事も、トップニュースも、それを選んだ人が「最も重要である」と考えたものが来ます。プリキュアを報道した人は、プリキュアファンであるということと、幼女(幼児)に対する性犯罪は相関があると考えている。ということの現れで、偏向をゼロにすることは不可能です。
そりゃ、データも示さず、相関があるかのように報道したら、偏向報道という批判は免れない。つまり、生島勘富氏は、今回の報道は偏向報道だと認めているわけだ。
犯人が「プリキュアファンでなかった」としたら大変な偏向報道(というより捏造)ですが、そうでなければ言い掛かり的な批判で、被害者が出ているのにそんな批判をしたら、逆効果しかないでしょう。
つまり、生島勘富氏は、今回の報道は偏向報道ではないと主張しているわけだ。って、どっちなんだあ! 容疑者は大学生だったり、居合同好会の幹事だったりした*1のに、「小6女児監禁男はプリキュア好き」と見出しをつけて、アニメファンが犯罪者予備軍であるかのように見る者に印象づける、あるいはそれを回避しないことが批判を受けているのだが。
もちろん、何度も繰り返していますが「プリキュアを観たらから犯罪を起こした」というのは問題がありますが「プリキュアファンだった」という報道を批判するなら、それこそ表現の自由の侵害でしょう。
こういう論理は、はじめて聞いた。非常に斬新な意見である。権力や暴力で他者の言論活動を妨害したら、表現の自由の侵害だろうが、言論に言論で対抗するのは、表現の自由のひとつだ。
もちろん、悪いことをしたのは極一部の犯罪者で、お互いに何も悪いことはしていません。ほぼ全オタクは悪くありません。しかし、「二次元で昇華できる」と言われれば「同一視するな」という方が無理です。社会的な善悪で考えられ、社会的に同一視されているにもかかわらず、法的に「同一視するのはおかしい」というのも、科学的(統計的)に「アニメ(のお陰)で犯罪は減っている」というのも、意味がないのです。
そういう、多数派の気分ひとつで、少数派の権利が抑圧される世のありようは、おかしい。さらにおかしいのは、生島勘富氏が提案する妥協案とやらだ。
同じように「カウンセリングを受けましょう」「病気と診断されたら治療を受けましょう」という運動を中から起こして「こんな運動をしています」といなされれば、それ以上は言いにくい。「こんな運動をしています」とアピールするための社会との接点としては、女児向けのアニメでその親も見ているであろう「プリキュア」で「大きいお友達」に呼びかけるのがベストでしょう。(求めているのは、科学的な効果ではなく、あくまで社会的な効果ですよ)
ジョージ・オーウェルも真っ青のディストピアだぜ。少数派が、多数派におもねるために自分から精神療法を受けなければならない社会とは、これでSFが一本書けそうである。第一、「私は別に困っているわけではありませんが、多数派を安心させるためにカウンセリングを受けにきました」なんて言われたらカウンセラーも困ってしまうだろう。
なお、「何も悪いことをしてないのに、なぜ、病気扱いするのか?」というのは「病気は悪」という偏見の現れですから言わない方が良いでしょう。
ありがとうございます。典型的な「藁人形攻撃」つまりは、詭弁です。*2病気扱いされた相手は、犯罪者予備軍扱いに憤っているのであって、健康を損ねている人間を低く見ていてそれと間違えられたこと怒っているのではない。

なお、こうした特定の趣味嗜好を持った集団への差別を正当化する論理として、「肌の色や性別と違って、趣味嗜好は自分で選択したから」というのがあるが、それなら、自分の意思で選択可能な宗教、思想や国籍による差別を容認するのだろうか。差別されたくなかったら、それを選択するなという前に、なぜそれを選択してはならないかという問にこたえなればならない。*3

生島勘富氏の書いた文章を読んできたのだが、正直、論旨がとりにくく、読解しにくかった。支離滅裂と言ってもいい。大阪市の公募区長の「論文」を読んでも思ったことだけれど、求職者にひたすら「コミュニケーション能力」を要求する民間企業の経営者が、こんな文章表現力でいいのだろうか。もしかして、経営者の意味不明な言葉を理解する必要があるから、高度な「コミュニケーション能力」が要求されているのかな。

*1:『「プリキュア好きは性犯罪者」報道に声優・池澤春菜らが大反発 』http://exdroid.jp/d/44591/

*2:香西 秀信『論理病をなおす!―処方箋としての詭弁』ちくま新書 2009年 に生島勘富氏の詭弁と同一構造の詭弁が紹介されている。授業で学生にテキストを読ませていると、難しい漢字が出てくるたびにつっかえる女子学生がいたときの、次のようなやり取り。教師 「君は帰国子女か?」学生 「侮辱です!」教師 「何っ! 君は帰国子女を馬鹿にしているのか!」

*3:私が嫌いだから、生理的に受け付けないからというのは、答えとして論外