それじゃあ、あなたの人権は

「大日本帝国憲法復活請願「東京維新の会」が賛成」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-10-05/2012100502_02_1.html

「王政復古」を目指すとは、しかし、これが「維新」として正しい姿、ありかたなのだろうが、「国民主権といふ傲慢な思想」という言葉がすごい。現行の日本国憲法に対する憎悪がふつふつわいているようである。これを機に大日本帝国憲法をみてみた。驚いたのは、国民(大日本帝国憲法では「臣民」だが)の権利に関する条項が、9条しかないことだ。しかも、いちいち法律の範囲内という限定がついている。ここまで、時代を逆行したいというのは、むしろ恐れ入るぐらいだが、自分が抑圧された時に武器となる人権がここまでスカスカの頼りないものになっても不安にならないのだろうか。今回に限らず、人権について否定的というより敵対的な人をみるたびに、なんだか腑に落ちなかったのだが、ここを読んで何となく、彼らの心情が理解できた。(賛同できたという意味じゃないよ)

http://homepage3.nifty.com/hamachan/hirotakaken.html ミニ・シンポジウム「教育制度・教育政策をめぐって(2)――教育と雇用・福祉」

要するに、人権を擁護しようなどとはけしからんことだと思っているわけです。赤木さんと同じで、人権擁護法とか人権運動とか言っているときの人権は、自分とは関係ない、どこかよその、しかも大体において邪悪な人たちの人権だと思いこんでいる。

なるほど、人権というのは、「まつろわぬもの」が自分たちに逆らうための武器という認識なのだろう。「やつらに人権などない」ではなく、「邪悪なやつらが、人権という邪悪な武器をふるっている」である。自分は、「多数派(権力者)に支持されている価値観」をえらびとる自信があるのだろう。想像をひろげれば、自分が苦労して多数派に順応しているにもかかわらず、そうしない者に対する抑圧移譲的な怒りがあるのかも知れない。