「自民党憲法改正草案」part3 国民の権利及び義務

自民党憲法草案」シリーズpart3は、第3章の国民の権利及び義務について

まずは「Q&A」から、

Q&A」p14
また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。
それでは、日本の社会で権利がどのように「徐々に生成されてきた」のかくわしく語って欲しいものであるが、書いていないなあ。天賦人権説が駄目というのなら、どこがどう駄目なのか書いて欲しい。また、違う人権思想を根本にすえるというのであれば、その人権思想をあきらかにしてもらわないと、及第点はやれん。
というのは、半分冗談でだが、「下々の者ども、分をわきまえろ。お前たちに人権を与えるかどうか、俺たちが決めるぜ」といった本音があるんではと邪推してしまう。
「Q&A」p14
従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
「などという解釈が」という書き方に、敵意がこもっているな。しかし、人権相互が衝突していないにもかかわらず、基本的人権の制約が必要な場合というのはどんなものだ?
皆が君が代を起立して歌っているときに、ひとり座っている人間がいたときか?
それとも、「まっとうな仕事をよこせ」とデモをしたときか?
「Q&A」p14
「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。
はい、さようですか。日本で「他人に迷惑を掛けるな」というのは、「多数派に迷惑を掛けるな」という意味であることが、多いんだが。既存の社会秩序の下で苦しんでいる少数派はいかがすればよいのでしょう。
以下の文は、学校内での生徒グループの「地位」による権利の数の差について、インタビューで語られたものであるのだが、「草案」を作った人たちの人権のとらえ方は、こんな風ではないのだろうか。人権というのは、もともと「ある」のではなく、何かの特典として「与えられる」ものだと。
『教室内(スクール)カースト光文社新書  鈴木 翔 p132
だから、自分のランクを把握して、それなりの行動をとってたら何にも言われないです。ホント。それ相応の行動さえとっていれば、いじめられたりすることは、よっぽど運が悪くなければないと思うんですよね。まず、「下」には、騒ぐとか、楽しくする権利が与えられていないので、「下」のくせに廊下で笑ったりしてはいけないんです。
教室内(スクール)カースト (光文社新書)

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