解説まで読まなければならない。『教室内(スクール)カースト』

教室内(スクール)カースト (光文社新書) 鈴木 翔 (著), 解説・本田由紀 (その他)


教室内(スクール)カースト。おそらく、この問題に関心を持っていなければ、聞いたこともないという人も多いかも知れない。学級内のメンバー間の人気を軸とした「身分」、「ランク」の序列構造である。

web上では多くの言及があるが、書物となるとこれをあつかったものがほとんどない。その中では、2012年12月に出た『教室内(スクール)カースト 』(光文社新書)鈴木 翔 (著), 解説・本田由紀が代表だろう。この書籍については、以前の記事で引用をした。今回はこの書籍そのものについての記事である。

本書には「スクールカースト」について、生徒だけでなく教師への聞き取りが収録されているが、教師たちが 「スクールカースト」について肯定的な見方をしていることに驚いた。「スクールカースト」下位の生徒たちにネガティブな印象を持っており、それを聞き取りの中で表明しているのだ。

その言葉がひどいとしか言いようがない。こういう人が教師をしているのか、と絶望するようなことを色々述べています。あるいは筆者のインタビュー相手の人選がまずかったのか。
例えば、
スクールカースト」下位の生徒について,こんなことを言い放っている。

100%将来使えない。
人間に対して「使えない」などというのは、教師の言葉ではなく、手配師あたりが使う言葉です。どうもありがとうございました。
僕は(生徒の「スクールカースト」を)肯定しますね。(中略)立場が弱いってことは、人に意見を聞き入れてもらえなかったり、人の支持を得られないってことの象徴なわけだから、まあ気づけってことですね。(中略)こういう立場の上下関係が存在するっていうことは、僕は賛成です。いい経験です。
 意見が正しいか、誤っているか、でなく、提案者の立場によって聞き入れる、聞き入れない、というのは、相当まずいと思うが。他人から見下されて過ごすというのは、とても「いい経験」とは言えない。心身の健康のために絶対避けるべき経験だ。 私の個人的な経験を述べれば、通った小学校。中学校には「スクールカースト」あるいは類似品があって、非常に息苦しかったのだが、高校に入るとそのようなものは無かった。あるいは感知できるほどのものではなかった。その時の解放感といったら、溺死寸前の状態から水面に引き上げられたような、あるいは急な登山道を登りきって、平坦地に出たようなものだった。高校は、勉強はきつかったが、のびのびと過ごすことができた。そこから振り返れば、小学校。中学校の人間関係は、あほらしく思えた。だから、「スクールカースト」が必要だ、と考える教師など私の想像の限界をこえた代物だ。 筆者の鈴木氏は、「スクールカースト」について、明確には評価付けをしていない。
ただ、このままではマズイな、ということは本書の執筆を通して、痛いくらい感じています。
なぜなら、上位の生徒にとっても、下位の生徒にとっても、学校生活を過ごすうえで、「スクールカースト」が負の側面を多く持ちうるものだということがわかってきたからです。
こう書いてあるぐらいだ。それについては、本田由紀氏の書く解説にくわしい。だから、本書には解説者名が大きくクレジットされているのだろうか。本書は解説も含めて読まないとならない、という印象を持った。 解説で印象に残った部分を抜いてみる。
自分(たち)の押しの強さや有利な立場をよいことに、他者に敬意を払わず押しつぶすようなふるまいは、日本社会のいたるところに見られるのであり、そのようなより広い社会的な素地をももっと踏み込んで問う必要があるのではないかということです。
そして、この本を読まれた多くの方々にも、「人間のあいだの地位の序列なんてどこにでもあることだ」「それをなくすことはできないし、問題視する必要もない」という、往々にして見られる考え方を、どうか今一度、どうか今一度、「ほんとうにそうなのだろうか」と考え直してみていただきたいです。
みなさんも、誰かにさげすまれたり踏みにじられたりすることなく、尊厳をもって生きたいという気持ちは持っているでしょう。
 それが実現できていないならば、どうすれば少しずつでも、より「ましな」ほうに近づいてゆけるかを、真剣に考えていただけるとうれしいです。