『新世界より』

新世界より(上) (講談社文庫)

新世界より(上) (講談社文庫)

新世界より(中) (講談社文庫)

新世界より(中) (講談社文庫)

新世界より(下) (講談社文庫)

新世界より(下) (講談社文庫)

Kindle Paperwhiteについての記事で言及した作品であるが、これを原作にしたアニメ版もあわせた感想を書きたい。この作品の存在は、出版されたときから認識していたが、ファンタジーで魔法が出てくる、ということで、何となく敬遠していた。アニメ版がはじまったときも、キャラクターデザインが可愛すぎだったのでスルーしていた。

先日、『新世界より』に手を出したのは、アニメ版第四話 「血塗られた歴史」のストーリー紹介の中に「そこには、人類がたどってきた血塗られた歴史が刻み込まれていた。」という一節があったからだ。私は現実の歴史も好きだが、架空の歴史にも目がないのだ。
中学生の時、読んだ『銀河英雄伝説』などは、立ち読みした序章の銀河系史の概略にしびれて一括買いしたものだ。。

アニメ版を第1話から見出したのだが、いや面白いね。アニメは現代日本(と思しき場所)から始まる。そこで突然始まる殺戮。そのシーンにドヴォルザーク交響曲第9番新世界より』第2楽章が重なるが、音楽はそのままに場面は牧歌的な夕暮れ時の田園風景で遊ぶ子供たちの様子に場面が切り替わる。(電柱や舗装道路がないのだ!)それが1000年後の未来の茨城という説明があった後は、未来社会の社会や文化についての説明的な台詞もなく、物語が進行していく。
「ついて来れるものなら、ついて来い」と言っているごとき、いさぎよさすら感じる。第1話では、主人公、渡辺早季が上級学校に進学するところが、物語の大きなところだが、平和そのものの生活に不気味な影が見え隠れする。特にラストの将来の渡辺早季が語るモノローグに背筋が凍るような感覚を味わった。

さて、原作の小説の方だが、文庫本で上中下3巻の大部でありながら、一気に読み通せ、十分に堪能できた作品であった。
しかし、ストーリーに凄惨、陰惨なところがあるので、同じ作者の『天使の囀り』や『クリムゾンの迷宮』あたりが、受け付けられない、といった人は避けたほうがいいかも知れない。
私が特に不気味さを感じたのが、あの子どもの両親がどういう運命をたどったか、ということだ。描写がないので読者の想像にゆだねられているが、どうしても嫌な想像を誘われてしまう。

とは言え、本作品は後味の悪いだけのディストピア物語ではない。少年少女のみずみずしい感情や、手に汗を握る冒険も描かれている。
また、ちょっと笑ってしまうような文もあるので、それを紹介して、今回の記事を終わる。

こういうところは、覚の話術の巧みさに感心する。もし、人を怖がらせる話を作る職業があれば、覚は、まちがいなく第一人者になれるだろう。むろん、どんな社会においても、そんな馬鹿な仕事が成立するとは思えないが。。
いや、早季さん。信じられないかも知れないけれど、西暦2000年代はじめの日本には、そういった職業のひとがいたんですよ。たとえば貴志祐介さんとか、貴志祐介さんとか。
略奪者は、なぜか、先史文明の遺物である自動二輪車を好んで移動に用いていました。
ミノシロモドキさん、それはきっと、『北斗の拳』のモヒカンヒャッハー軍団のまねでしょう。