成長するより、苦痛を味わってほしい。

昔の話題ではあるが、底に流れるものは、現在も続いていると考えられる。

「手をつないで一斉にゴール」が全国各地で大流行している!? - Imaginary Lines

運動会の徒競走で順位をつけないというのは,

  1. 順位がそもそも発生しないように競技に手を加える。−例:手をつないで一斉にゴール
  2. 順位を評価しない。−例:ゴールインの順番を書いた「等旗」を使用しない、順位を示すリボンや賞状を渡さない

の二通りがあるが、この二つは大きく異なる。
そもそも、1などは、「聞いた話では」「あったそうだ」という伝聞が多く、画像や写真などが出ない典型的な都市伝説の態だ。その存在を疑っていない芥川賞作家もいるようだけど
実際あったとしたら、そんなの競技する意味がないではないか、と批判するのはおかしくはない。
ただ2は、それでいいではないかと思うんだが。
競技が終わった後も、その順位をあからさまにされ、さらしものになる、ということに教育上の効果があるのか。
「順位をあからさまにすべきだ」という人の意見を見ると、実社会でも競争があるから、ということを根拠にあげているものが多い。しかし、これは答えになっていない。「である」ことは「べきだ」の証拠にはならない。実社会に存在する競争はかくがくしかじかの正の効果をあげていて、それは運動会にも援用できますよ、と言ってくれればよいのだが。付け加えると、実社会の競争は、自分の能力を考慮して参加する競争を(ある程度は)選択できるというところが、足が速くても遅いに関係なく、全員強制参加の運動会の競走とは違う。衆人環視の場で、負ける勝負をさせられるというのは、強い屈辱だろう。そんな屈辱が人格形成に好影響を及ぼすというのだろうか。また、に好影響を及ぼすとしても、競走に勝つ生徒は、その好影響の埒外に置かれていることになるが、それでいいのか*1

これは、新入社員の自衛隊での研修等、効果があるかではなく、教育対象の受ける苦痛の大きさを教育方法の選択基準にする人が、少なからずいることのあらわれかも知れん。

*1:競争の結果=順位を明らかにしなければ教育に悪いならば、学科試験の結果も廊下にはりだしたりしなければならないと思うが、あまりそう主張する人は多くないようだ。