「当時は必要だった」―誰が必要としていたの?

橋下大阪市長従軍慰安婦についての発言が迷走している。この人の言動が、首尾一貫のあるものになることは、円周率が割り切れるぐらいの可能性か。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000008-asahi-pol
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日、戦時中の旧日本軍慰安婦について「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度は必要なのは誰だってわかる」と述べ、慰安婦は必要だったとの認識を示した。大阪市役所で記者団に語った。

そりゃ、従軍慰安婦制度を当時の日本軍部は必要と考えていたから、あったんでしょう。しかし、彼らが必要としていたから、といって従軍慰安婦制度を正当化できるものではない。

誰かが必要していても、それが正しいことであることとは必ずしもいえない。必要条件にはなるだろうけれど。また、従軍慰安婦制度が必要でなかった人間、必要とは考えていなかった人間、害悪とみていた人間などがいなかったと考えているのだろうか。

当時は必要だった、と粗雑な言い方をすれば、自らが従軍慰安婦制度を採用した当時の日本軍部にシンパシーを持っていると表明しているようなものだ。今は必要ない、と言っているが、当時と同じような状況になっても、従軍慰安婦制度を採用しない決意を表明している、とは取れない。
橋下市長が「誤解」とやらを受けたくなかったら、「当時の日本軍は兵士の士気を維持するため、従軍慰安婦制度を採用したが、それは非道だった。私が政治家である間は、そのようなことは許さない」ぐらい、言っておけばよかったのだろう。まあ、彼の言いたいのは別のことかもしれないけれど。