おもてなし

日本の「おもてなし」は世界水準か?

日本人の「業とするサービス」は優れていても、見知らぬ他人に対しての親切や協力には難があるのでは、という問題を、自分に後続する人のためにドアをあけておく、というふるまいを題材に論じた記事である。日本への批判への非寛容さのあらわれと言うべきか、欧米と比較されることへの反発するコメントが目立つ。強烈なのがこれ。


>日本ではドアを開けたら自分さえ通れれば後から来る人のことはお構いなしでそのまま歩き去ってしまいます。

あなたは本当に日本人ですか?
鶴橋とか山谷で育ったんじゃないかと、思わず邪推したくなります。

だって普通に日本で暮らしていたら、この手の当たり前な親切なんて、普通に体験できるはずですし。
それを「日本にはドアを持って待つこともない」と言いきれるなんて、ハッキリ言って海外通を自慢し、日本を貶めることで「自分はよく知ってるんだぜ」とアピールしたいだけの、いい年したみっともない大人としか思えません。(後略)

この人の言う日本人の基準はよく分からないが、鶴橋とか山谷は国境線の向こうにあるらしい。鶴橋とか山谷は、歴史的にも国際法的にも日本国の固有の領土だろうに。ひどいこと言っているなあ。

自分に後続する人のためにドアをあけておく、というふるまいが日本で一般的か、というと、とてもそうは思えない。少なくともこの一月、私は「この手の当たり前な親切なんて、普通に体験」しなかった。(したことはあった)顔面にドアをぶつけられかけたことは2度あった。宴席で空になった上司のグラスにビールを注ぐ風習よりはるかにマイナーな風習だろう。ドアを持つマナーだって、後ろに続くのが、上司や先輩だったらふるまい方はずいぶん違うはずだ。

日本人の集団主義的価値観は、実は、アメリカ人のそれよりも低い、という研究もある*1そうで、身内や客への過剰までサービス・気遣いに比較したら、見知らぬ他人との協力の拙劣さが目立つ。以前、記事にした無駄なエレベータを呼び出す、というのもひとつのあらわれだろう。

最後に、日本にはドアを持って待つこともない、と言われて、「いや、私はいつもやっている」と反論するコメントがほとんどなかったのは、どうなんだろう。人はどうあれ私は正しいことをしている、と胸を張っておけばいいと思うけど。