マニュアルも馬鹿にできない。

先日、たまたま、コンビニエンスストアの店長の経験がある女性と会話する機会があった。
話題は、コンビニエンスストアの営業にあたって、さまざまなマニュアルがあることに及んだ。何でも、レジ待ちの客が何人に達したら、レジの応援に入るか、という項目もあるそうだ。
ところが、彼女はそのマニュアルについて、嫌悪感に近い否定的な感想を述べた。そんなことぐらい、マニュアルに頼らずに判断できるだろう、判断できないのは全く情けないという訳だ。

事細かに作業手順を定めたマニュアルに対して、彼女と同じような感想を持つ人が多いことは理解できるが、そういう人々がまた、部下や同僚の自主的な判断とその結果を許容するか、はなはだ疑問だ。レジの行列の話を使うと、5人並べば、応援が来ると思っていると、部下は10人までは応援に入らず、自分の仕事をしていればいい、と考えていた。そんな時、「お前は何でレジを手伝わないんだ!」と怒らないか、ということだ。

そんなことぐらい、自分で判断しろ、という命令の裏には往々にして「自分の分身として考えろ」という意図がある。決して、お前の好きなようにしろ、という委任の宣言ではない。

最初から、自分と異なる判断を許容しないなら、最初からマニュアルなりに判断基準を言語化しておいて、予測可能性を高めておく方がましだ。

気分しだいで他人を叱りたいから、基準は私の頭の中にという人もいるかも知れないが。