吉見義明氏は、業者が、略取、誘拐や人身売買により連行したら強制連行でない、と言ったのか?

池田信夫氏は、吉見義明氏が、「業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」したケースを強制連行とは呼んでいない、と主張しているが、これは明白な誤りである。
池田信夫 blog : Economistのための慰安婦問題超入門

慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方が研究者の間で今も対立する状況が続いている。
これは誤りだ。 吉見氏でさえ「業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」したケースを強制連行とは呼んでいない。彼はこれを強制性と呼んでいるのだ。彼は植民地で行なわれた売春は「自由意思でその道を選んだようにみえるときでもすべて強制の結果」と定義するのだから、慰安婦はすべて強制だ。これはトートロジーである。

 青字部分は池田氏朝日新聞記事を引用した部分だ。
「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方は、吉見氏の見解なんだって。朝日新聞記事は、池田氏が引用した部分に、注釈を付けている。その注釈を見ると、参考文献として、下記があげられている。
「『河野談話』をどう考えるか――その意義と問題点」「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編「「慰安婦」バッシングを越えて」(大月書店、2013年)

 その12ページにこう書いてある。

朝鮮・台湾では、軍または総督府が業者を選定し、業者が誘拐や人身売買、場合によっては略取により連行することがふつうに行われていた。これも強制連行である。(強調部分は引用者による)

 一撃で池田氏の主張が粉砕された。 
 まさしく、吉見氏は「業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」したケースを強制連行と呼んでいる。そして、池田氏が、この吉見氏の一文に接するのは容易だったはずだ。なにしろ池田氏が引用した朝日新聞の注釈にあげられているのだから。いやしくも、博士号を授与された人物が、注釈にあげられている参考文献に目を通していないということはないだろうから、故意にやっているとしか考えられない。さらに言うと、池田氏は自分のブログ記事を読む読者を舐めきっているのだろう。


「強制性」について、記事を続けると、「強制性」というのは、「強制連行」と言えなくなったために持ち出したのだ、と池田氏をはじめ、従軍慰安婦問題否認論者は、主張するむきがあるのだが、これについての回答となるであろう記述が、吉見氏の『日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784) 』にある。

(前略)「強制」とは何かということです。これは1993年の河野官房長長官談話が示している定義でよいと思います。強制とは「本人たちの意思」に反する行為をさせることです。本人の意志に反して連行していくことは「強制連行」に、本人の意志に反して使役する場合は「強制使役」になります。そして、強制連行と強制使役とは切り離せない一体のものとして考えるべきだと思います。

 吉見氏は「強制連行」という概念を認めつつ、それでは連行されたことだけが問題となってしまい、慰安婦として強制的に使役されていたことがゆるがせにされるおそれがあるから、強制連行と強制使役とを一体に「強制」と言っていると見るべきだろう。だいたい河野談話も、「募集、移送、管理等」と言っており、連行だけに言及しているわけではない。