論点はそこじゃないだろう。〜南京大虐殺犠牲者国家追悼式についての読売新聞記事

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20141216-OYT1T50136.html 一方的な歴史認識の押し付けは、日本国内の反中感情を増幅させるだけで、非生産的だ。到底、容認できない。
1937年に旧日本軍による南京事件が起きた13日、江蘇省南京の「大虐殺記念館」で追悼行事が行われた。習近平国家主席は演説で、事件で「30万人が殺された」と改めて主張した。
この数字の否定は許さないと強調し、「侵略の歴史を顧みない態度、美化する言論に断固反対しなければならない」と語った。
だが、「30万人」は客観的な根拠に乏しい。日本政府は、非戦闘員の殺害の事実は認めつつ、犠牲者数の確定は難しいとする。
日本では、当時の南京の人口動態などから、「30万人」は実態とかけ離れているとの見方が支配的だ。2010年発表の日中歴史共同研究の報告書で日本側は、「20万人を上限に、4万人、2万人などの推計がある」と指摘した。

読売新聞の記事を読むと、習近平国家主席の演説は、犠牲者の数に力点をおいたものだったのか、と思ってしまうが、中華人民共和国駐日本国大使館のサイトに掲載された、南京大虐殺犠牲者国家追悼式での習近平主席の演説の全文(日本語訳)を読むと随分印象が違う。

南京大虐殺犠牲者国家追悼式での習近平主席の演説

犠牲者の数にふれられたのは2ヶ所

1937年12月13日、中国を侵略した日本軍は野蛮にも南京に侵攻し、むごたらしい南京大虐殺事件を起こした。30万の同胞が惨殺され、無数の女性が暴行、殺害され、無数の子供があたら命を落とし、3分の1の建物が破壊され、大量の金品が略奪された。日本軍が一手に作り出したこの非人間的な大虐殺事件は、第二次世界大戦の「3大事件」の一つで、おどろくべき反人類の犯罪行為で、人類の歴史における非常に暗い一ページである。
歴史は時代の変遷によって変わることはなく、事実も狡猾な言い逃れによって消えることはない。南京大虐殺事件には動かぬ証拠が山ほどあり、改ざんすることは許されない。いかなる者が南京大虐殺という事実を否定しようとしても、歴史はそれを許さず、罪のない30万の犠牲者はそれを許さず、13億中国人民はそれを許さず、世界の平和と正義を愛するすべての人民はそれを許さない。

 こうした追悼集会での演説で、犠牲者数に言及するのは、定型というべきだろうし、(広島市の平和宣言でも、犠牲者数に言及されている)習主席の演説がそのフォーマットを逸脱しているとは思えない。

読売新聞の記事に言うような「30万人」という「数字の否定は許さないと強調し」たところは見当たらない。「南京大虐殺事件には動かぬ証拠が山ほどあり、改ざんすることは許されない。」というところに犠牲者数を含んで主張しているのだ、と言われれば、まあ、そうかもしれませんね、と言うところだが、いずれにしても犠牲者数に力点がおかれているとは言えない。

 犠牲者数よりも、言及の分量や直截さから言って、ジョン・ラーベたち外国人への称賛・感謝の方が目立つほどだ。

 読売新聞に問いたいのだが、中国側が、南京虐殺事件の犠牲者数を日本側にあわせて「20万人を上限に、4万人、2万人など」に修正したら、南京虐殺事件について、南京虐殺事件否定論者が全て納得し、異議申し立てをやめると考えているのだろうか。彼らは、論争しやすいから犠牲者数を問題にしているのであって、犠牲者数は何であれ虐殺は非難されるべき問題だ、と考えているわけではないだろう。

 読売新聞の記事を題材に下のようなニセ記事を書けると思うが、このような記事がアメリカ合衆国などの新聞に掲載されたらどうだろう。

一方的な反核認識の押し付けは、米国内の反日感情を増幅させるだけで、非生産的だ。到底、容認できない。
1945年に米軍によって原爆投下された8月6日、広島市平和記念公園で平和記念式典が行われた。広島市長は演説で、原爆により「14万人が殺された」と改めて主張した。
この数字の否定は許さないと強調し、オバマ大統領に、早期に被爆地を訪れ、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信するよう要求した。