このエッセイが今年最悪・最低のものであることを祈る〜曽野綾子氏の新年特別提言

野暮を承知で書くと、タイトルは、これ以上ひどい文章が世に出回らないことを祈る気持ちを込めたものである。
曽野綾子氏が『「戦争の悲惨」より「戦時の英智」を伝えよ』という題したエッセイを新年特別提言として、1月23日号の「週刊ポスト」に載せている。

書き出しが、「あの戦争は私の人生にとってかけがえのない「おもしろい経験」でした。」なのだ。曽野氏は戦争は、悲惨さだけでなく「おもしろい経験」もあったと言っているのだが、彼女の「おもしろい経験」というのが、軍需工場で働いて「私にも女工さんが務まるんだ」という満足感を抱いたことらしい。しかし、労働によって自分の能力に満足感を抱くのは、平和な時代でも可能なことだ。数千万の死者が必要なことでない。曽野氏は平和な時代での「おもしろい経験」を考慮の外においてしまっている。

さらに驚くべきことを、曽野氏は書く。

私はナチスドイツがポーランドに建設したアウシュヴィッツ収容所に何度も行きました。あそこが幸せな場所だったとは誰も思いません。それでも収容所の中では、瞬間的にユダヤ人が笑ったり、歌を歌ったりしたことがあったと記録されています。そんな「悲惨な環境」の中で、彼らは一瞬とはいえ何に笑ったかのか、何に慰められたのかを知りたいですね。

 私はこんなことを書く、曽野綾子氏の頭の中身を知りたいところだ。笑ったり、歌を歌ったりしたするのは、強制収容所の外でできることであるし、そうあるべきだ。笑ったり、歌を歌ったりしたするのは、強制収容所の外でがよいか、内でがよいか、答えは明白だろう。
 先の日本の戦争についての論及においても、そうだが、曽野綾子氏の論は、一種の「誤った2分法」に陥っている。

戦争の教訓は「国家に頼るな」?

曽野綾子氏は、戦争が残した教訓として次のように述べる。

もう一つ、私が戦争から学んだ教訓として語り継ぐべきことがあるとすれば、戦争が終わった時に国家は国民に一文も補償しなかった、ということです。(中略)
それでも焼け出された日本人は自力で生活を再建し、発展の礎をつくりました。そうした経験や方法論こそ記録として残し、語り継ぐ価値があるはずです。
 しかし残念ながら、「戦争が教えてくれた英智」は戦後の日本には引き継がれていないようです。

 自分のあずかり知らないところで始まった戦争で、生命や財産を失っても、一文も補償してくれないということなら、「戦争をしない・させない」というのが合理的な対策だろう。日本国憲法前文にも「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」と書いてあるのだ。曽野綾子氏は、「「戦争反対」と繰り返し訴え続ける人々」への反感を隠さないが、「戦争が教えてくれた英智」はむしろ彼らの方に引き継がれているように思える。
 曽野氏は戦後日本の復興を高く評価しているが、戦争で死んでしまったら取返しがつかないし、また戦争で失ったものを復興で取り戻せなかった人間も多かった。
 また、大日本帝国の戦争が外国に与えた被害や、戦後復興にあたって受けた海外からの援助について、曽野氏がどう考えているのか、非常に気になる。