そんなところまで原作に忠実でなくてもよかったのに〜テレビドラマ版『永遠の0』

 テレビドラマ版『永遠の0』の第一夜をみた。
 以前、主人公の宮部が墜落中の乗機から脱出した米軍搭乗員の落下傘を撃つエピソードについて、「主人公のこんな反倫理的行為は、おそらくドラマ版でも描写されないと思う」と書いたのだが、私の予想が誤っていた。しかも、落下傘を撃つのではなく、搭乗員そのものを機銃で射撃するという、想像の斜め上をいく演出だった。

 戦争物の小説などでは、たいてい反倫理行為をするのは主人公に対立する側で、主人公はそれを拒む側だ。『ベルリン飛行指令 』の安藤大尉は、南京城内にいる「敗残兵らしき一群」への機銃掃射を、「機銃が故障していたため」しなかったり*1『鷲は舞い降りた 』のシュタイナ中佐はユダヤ人の少女を助ける。主人公が反倫理的行為をして、咎められる、というのは斬新なストーリだ。

 また第一夜には、以前の記事に書いた伊藤寛次が登場して、同じようにミッドウェー海戦のことを語る。津嘉山正種の重厚な語りで、「あの日のことは、60年たった今でもよく覚えています」と言われると信じてしまいそうになるが、経験不可能なことを経験したように語っているのだ。ミッドウェー島の第一次攻撃から戻ったら、陸上用爆弾への換装作業が行われていた語るのは、原作より程度がマシな間違いだが、所詮は間違いだ。
 正しくは戻ると陸上用爆弾から魚雷への換装作業が、行われていたはずだ。その後、伊藤と宮部は、すぐに攻撃するかしないかで、議論するが、この時点で、日本海軍機動部隊は米海軍の艦載機の攻撃を断続的に受けていて、攻撃隊を出したくても出せなかった。日本側が米海軍の機動部隊を攻撃するためには、米側の攻撃をしのぎ切らなければならなかったのだが、結局しのぎ切れなかった。宮部は「こうしている間にも敵が来る」と叫んでいたが、その敵はすでに来ているのだ。

 おそらく、自信たっぷりに語られる回想でも、疑って検証せよ、というメッセージが込められたドラマだったのかな。

*1:安藤大尉は「敵機操縦士が落下傘により脱出した場合、これをたびたび見逃していることも基地司令の不興を買っていた。」という記述もある。