「暗黙のルール」は明文化してほしいよね。

下の記事を読んで感じたこと。
発達障害者(児)支援をどうデザインするか? -社会性の障害による困難には相手があることから- | アスペルガーライフblog
社会性やコミュニケーションの障害を社会モデルを用いて解消することには、困難があることが述べられている。

「傷つきやすいので配慮して欲しい」といわれてもそりゃほとんど無茶である。

「挨拶も会話もできないけど職場で疎外感を感じたくない」と言われてもいったいどうしろっての?

「叱責されると萎縮するのでほめて育てて欲しい」といわれても、企業は親でも学校でもない(常軌を逸した激しい叱責はパワハラなのでやめるべきだが、そりゃ対象が障害者でなくても同じこと)

社会性の障害、コミュニケーションの障害部分、二次障害部分への配慮をしようとすると、どうしても人的リソースを必要とする。  上記の例には、なかなか配慮は困難だろう。配慮する側が消耗しそうだし、「なぜこちら側ばかりが譲歩を強いられるのだ」という反応を引き起こしてしまいそうだ。

 それでは、社会性の障害に社会モデルでの対処が全く出来ないか、というとそうではないだろう。暗黙のルールが分からない、という障害だったら、(特に、共通の利益のために組織された会社等の組織では)明文化するという方法があるし、暗黙のルールが明文化されていた方が、下のふたつの理由から、障害者も非障害者もより幸せになるだろう。

 ひとつは、暗黙のルールは覚えるにも、従うにも余計なコストがかかる。新しくメンバーになった人間が、周囲を観察してルールを覚える時間があるなら、本来の仕事に注力したほうが、皆の利益になるだろう。また、暗黙のルールは、変わるプロセスも明確でないから、古株の人間もいきなり、ルール違反を理由に指弾されるかもしれない。そもそも、暗黙のルールには、権力を握っている人間の恣意的な適用の危険性がつきまとう。
 ふたつめは、そもそも暗黙のルールは、表ざたにできないから、暗黙のルールになっていることが多いということだ。新人は時間外手当を請求するな、とか、昼休みも休憩せず電話応対しろ、とか、こうした表に出せないルールを批判的に検討する機会が必要だろう。