そもそも、ピーター・シンガーの意見に賛同できない〜ふたたび障害児の排除について

当時茨城県の教育委員だった長谷川智恵子氏の発言をきっかけに障害を理由に、子どもの排除が許されるか、という問題について書いた。

この問題について、「傷がい(ママ)を持つ胎児の中絶はもちろん、出産直後に障がいがあることがわかった場合も安楽死を認めるべきだ」という意見を作家の橘玲氏が紹介していた。
障がいを持つ胎児の中絶をどう考えるか? 週刊プレイボーイ連載(223) – 橘玲 公式BLOG
記事自体は、オーストラリアの哲学者ピーター・シンガーの考えをなぞっているだけで、ほとんど論評に値しないが、橘玲氏自身の意見として書かれていて、看過できない部分があった。

ナチズムの暗い過去を持つドイツでは安楽死への心理的抵抗がことのほか強く、シンガーが生命倫理のシンポジウムに参加したときには「人権団体」から激しい抗議を受けました。彼らはシンガーの安楽死論を「(ユダヤ人絶滅を計画した)ホロコーストの正当化」だと批判しましたが、実はシンガー自身がユダヤ系で、親はナチスを逃れてヨーロッパからオーストラリアに移住したのでした(シンガーの著作の多くは日本でも翻訳されており、生命倫理を論じるうえでの必読文献になっています)

ある意見を、提唱者の属性をもって否定することと同じく、提唱者の属性で擁護することは正しくないだろう。親がナチスから逃れたユダヤ系の人間なら、非人道的なことを考えたり、実行したりしないという根拠は何なのだろうか。橘玲氏の論法は、アレクシス・カレルを持ち出して、ヒトラーを礼讃したわけでないと、言い訳した渡部昇一氏のそれに似ている。*1橘玲氏は、シンガーの考えが、ナチス・ドイツ安楽死政策T4作戦を支えた考えとどう違うか、考えを述べるべきだった。

そもそも、私はピーター・シンガーの意見に賛同できない

ピーター・シンガーの考えについては、プリンストン大学のwebページにFAQが掲載されている。(非公式ながら日本語訳した方もいた。)シンガーは、障害のある赤ん坊を殺すことが不正でないことがあるのは、新生児が自分が時間を通じて存在するという感覚を持っていないからだという。シンガーが新生児全てにはてはまることを根拠として持ち出していることに注目しなければならない。それでは、当然、障害のない新生児も殺すことが認められる、という結論になるはずだ。シンガーのFAQにもその問いがたてられている。(障害のないことはnomalと表現されている)ところが、シンガーは障害のない赤ん坊(a normal baby)の場合、両親が自分たちの子供をいらないと思っていても、子どもを殺すことは不正となると言っている。条件が同じであるのに、障害のあるなしで、結論が異なるというのでは、論理が破綻している。

 さらに認知症や事故で未来についての感覚を失った人も殺すことは認められるか、という問いに、シンガーは、彼らがそうなる前に、未来についての感覚を失っても殺されたくないと考えていたなら、殺すことは認められないと答えている。そう考えているのなら、障害のある赤ん坊も成長すれば、未来についての感覚を持つようになる可能性を全く無視していることは理解できない。