それでも、歴史修正主義者にNOと言わなければならない。

拙ブログで、従軍慰安婦問題や南京事件についての歴史修正主義的主張に対する反論をいくつか書いてきた。

正直に言えば、「従軍慰安婦は業者が勝手に連れてきた」とか「南京事件を目撃し、記録した外国人は国民党政府のエージェント」とか、ネットに書き込んでいる人間は、故意犯どころか、確信犯であるので、彼(彼女)らに、根拠を示して反論しても、歴史修正主義者が、そうした行為を止めることはまずないだろう。

それでは、彼らの主張に反論する意味がないか、ときかれると、反論しなければならないと答えるしかない。歴史修正主義者の言動を変えるためではなく、歴史修正主義者の主張に反論が存在することを、他の人間に知らせるためだ。

『暴力の人類史』(スティーブン・ピンカー) に、狂信的で非合理な信念が、人々を取り込んでしまうメカニズムについての記述がある。(下巻pp.336-345)


こうした信念が社会を支配するためには、構成員の多くが、それを支持することは実は、必要でない。多くの人間が、自分以外の人間は、その信念を支持しており、その信念を認めない異端者は制裁を受ける、という予想を抱いていればよい。そして、その信念に賛同していないにも関わらず、周囲に自分が制裁の対象でないことを示すために、その信念を認めない人間を罰するようになる。こうなると、誤った順応と誤った強制が互いに悪循環を生んで、誰も受け入れていないような信念が社会をのっとってしまう。

これを現実の社会にあてはめるのは、さほど無理やりなことではない。政治学者のジェームズ・L・ペインは、20世紀のドイツ、イタリア、日本で、ファッショ的なイデオロギーが国を席巻した共通の経緯を例証している。いずれの場合でも、少数の狂信者の集団が「暴力も含めた極端な手段をも正当化する純真で威勢のいいイデオロギー」を掲げ、喜んで暴力を遂行してくれるならず者の一団を取り込んで、残りの国民を威嚇し、しかたなく黙認する層をじわじわと増やしていったのだ。(下巻p.342)

 ここまで大きな話ではなくても、皆が嫌だと考えていることが、その嫌だと考えている皆によって強制される、というのは日本の職場でよく見る光景である。

  1. 従業員のほとんどが、サービス残業はやりたくないと考えている。
  2. 従業員のほとんどが、自分以外の従業員は、サービス残業は必要であると考えており、サービス残業をしない人間のことを「自分勝手な奴だ」といじめのターゲットにすると予想している。
  3. サービス残業をしない従業員が出ると、自分が他の従業員から、イジメのターゲットにされないように、「あいつは自分勝手な奴だ」とサービス残業をしない彼(彼女)をいじめのターゲットにする。
  4. それを見た他の従業員は、サービス残業をしないと「自分勝手な奴だ」といじめのターゲットになるのだ、という予想を強化してしまう。

 かくして誰も望まないまま、サービス残業が、横にらみで強制されてしまう。

 歴史修正主義的な主張も、あいつらには、どうせ、反論しても通じないから、と放置していたら、「南京事件はなかった」とか「従軍慰安婦は業者が勝手に連れてきた」と、皆が考えている、という考えが、広がっていく可能性がある。そうなると、私もその考えに同調しなければならない、それに同調しない人間に制裁を加えなければならない、という人間も増えるだろう。

 イザナギではないが、歴史修正主義者が1000のデタラメを言ったら、1500の本当のことを言うしかないだろう。