人間は、ハリウッド製アクション映画の登場人物ではない。

 女性が被害者になる性犯罪や監禁事件がおきると、決まったように、何故、逃げられるはずなのに、逃げなかったのか、自衛すべきだったのだ、と言い出す人が出ます。いつでも、自分を害することができる監禁犯に見張られている女性が、隙ををみて、監禁の自動車を奪って逃走したり、強姦されそうになった女性が、金的蹴りや目つぶしで逃れないと許してもらえないようです。不思議なことに、男性が強盗に遭ったときは、凶器を奪って反撃するといった、ハリウッド映画並のアクションを要求されません。

 危機に接した人間が、ハリウッド製アクション映画の登場人物のような行動をできるものではないという事例をあげてみましょう。下記は、『朝鮮戦争』(児島 襄)の2巻目からの引用で(文庫版p103)韓国軍第2連隊が中国軍の攻撃を受け潰乱した時の記述です。

 連隊長咸炳善大佐も、狼狽して後退し、道に妨害物として置かれた燃料タンク車に遭遇すると、とかくの判断をこころみることもなく、ジープを降りて放火した。
 燃料タンク車は当然に爆発した。咸大佐は重火傷をおって球場洞にはこばれ、副連隊長金鳳竽大佐が連隊長に昇格した。

 著者の児島襄氏は、咸炳善連隊長の行動について、何も解釈していませんが、平時には想像できないような行動と言えるでしょう。私もこの箇所を最初、読んだ時には、咸炳善連隊長の行動の合理的な意味が、どこかに書いてあるのではと、何度も周辺を探しました。

 ひとつでは足りないと言う人、『暗殺の政治史 権力による殺人の掟』(リチャード・ベルフィールド)をおすすめします。テロリストが爆弾を起爆するための装置を、持ってくるのを忘れたために、テロに失敗したとか、暗殺を命じられたKGBの秘密工作員が、良心がとがめたために潜入先で自首した、とか、映画にしたら「リアリティがまるでないぞ、金返せ」と言われそうなエピソードがいくつも載っています。