池田信夫氏の日本語能力が問題なのか、それとも、故意に誤読しているのか。

 以前、池田信夫氏の従軍慰安婦問題についてのブログ記事についてとりあげた。
「植民地で行なわれることはすべて強制である」なんて書いていないぞ〜池田信夫氏のわら人形論法記事 - davsの日記
 池田信夫氏のブログ内の従軍慰安婦記事を検索して読んでみたのだが、だいたいにおいて、ひどい記事がそろっている。人権感覚がおかしいより先に論理がおかしいことが多い。どこがおかしいか、学生に吟味させたら、論理力をきたえるよい教材になるだろう。

今回、取り上げるのはこちら
池田信夫 blog : 朝日新聞は「慰安婦の強制連行」の記事も取り消せ

 慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

この記事では「対立する」といいながら、同じ記事で「日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない」と書き、最後の「読者のみなさまへ」でも「軍などが組織的に人さらいのように連行した資料は見つかっていません」と書いている。

青字部分は、池田氏が引用した朝日新聞の記事だ。池田氏朝日新聞がおかしなことを書いている言いたいようだが、おかしいのは池田氏の方だ。
朝日新聞の記事は

  1. 「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解
  2. 「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方

のふたつが対立しているということを述べている。この記述は、「日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない」という記述と全く矛盾しない。
 公的文書が見つかっていないことが、上記1あるいは2の考えが正しい、あるいは誤っていることを示さない。公的文書が見つかっていなくても、1または2の定義を採用することになんの問題もない。
 以下、便宜上1の立場を「狭義派」、2の立場を「広義派」と記す。

論旨が一貫していないが、しいていえば「定義については対立があるが、軍による強制連行の証拠はない」と読める。つまり朝日新聞は、人身売買を強制連行に含めていない。これは秦氏も吉見氏も一致する、正しい定義である(つまり対立はない)。

 ちょっと待て。「定義については対立があるが、軍による強制連行の証拠はない」(勝手に朝鮮や台湾限定を解除していることに注意)と述べることが、人身売買を強制連行に含めていないことになるのだ。
 もっと驚くべきは、引用部分の最終行だ。「これは秦氏も吉見氏も一致する、正しい定義である(つまり対立はない)。」池田氏は「秦(郁彦)氏も吉見(義明)氏も、人身売買を強制連行に含めていない」と述べているわけだ。池田氏が引用している朝日新聞の記事の注釈部分を読めば、狭義派として、秦郁彦氏の記述、広義派として吉見氏の記述をあげていることが分かる。池田氏は、吉見義明氏を勝手に広義派でなく、狭義派にしているのだ。元記事を読んだのだろうか。

では(国家による)強制連行はあったのか。これについて吉見氏は明確に「なかった」と認めている。たとえば1997年に国会議員に説明した『歴史教科書への疑問』では、次のように答えている。

次に、徴募時の強制はどうであったのかということです。朝鮮半島や台湾では、官憲による奴隷狩りのような連行があったかどうかということは、資料では確認できないのが現状であるということであります。

 青字部分は、池田氏が引用した吉見氏の記述。(以下、同じ)私の読解では、吉見氏が、朝鮮半島や台湾での、官憲による「狭義の強制連行」の有無を明確にする資料はまだ発見されていない、と言っているとしか読めないのだが、池田氏は地域の限定もなしに「明確に「なかった」と認めている」と読めるらしい。池田氏は自分が引用した部分に何が書いてあるか理解できていない。
 引用を省略したり、恣意的につないで、相手が言ってもいないことを言っているように見せるわら人形論法は、たくさん見たが、このような自滅型のわら人形論法は、はじめてみた。

朝日新聞は今回の特集で、女性たちが意思に反して慰安婦にさせられたという強制性に問題の本質があることを明確にした。軍・官憲による暴力的な強制連行がなければ日本政府に責任はないという、国際的に全く通用しない議論がいまだにあることを考えれば、改めて問題の所在を明示したことは意義があった。
つまり「定義をめぐる対立」はないのだ。検証記事も吉見氏の表現をほぼ踏襲しており、これは杉浦氏の説明とも一致する。整理すると、
 広義の強制=強制連行+人身売買
というのが、秦氏も吉見氏も朝日もNYTも一致する定義だが、(後略)

 池田氏が、吉見氏を狭義派とみなしたか、不思議だったが、この部分を読んで、ひとつ推測を思いついた。吉見氏の「軍・官憲による暴力的な強制連行」という記述を、「強制連行は、軍・官憲が暴力的にするもの」と解釈した可能性だ。
 低俗なアニメと言った場合

  1. そもそも、アニメは低俗であって、そのアニメ
  2. アニメはたくさんあるが、そのうちの低俗なもの

の二通りに解釈できるが、池田氏は1のように吉見氏の記述を解釈したのではないだろうか。だとすれば、どうにもひねくれた解釈だ。吉見氏の著作や、橋下大阪市長への質問状などを読んでいたら、こんな解釈が出てこないと思うのだが。池田氏は、わざとやっているのではとすら思ってしまう。
 池田氏は「広義の強制=強制連行+人身売買」などと書いているが、それでは、「業者による誘拐や詐欺による連行」は、強制連行に入れるしかない。これは、池田氏の主張と矛盾する。まさか、「業者による誘拐や詐欺による連行」は人身売買なんだ、というのだろうか。