SFに登場する奴隷の描写について

アーネスト・クラインの『ゲームウォーズ』を読みました。

人類にとって革新的なネットワーク世界オアシスが生活にも密着した2041年が舞台。開発者のジェームズ・ハリデー(ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズあたりがモデルだろう)の莫大な遺産の争奪戦が仮想現実内外で、展開されます。クライマックスでは、メカゴジラウルトラマンが戦う、などというオタクネタ満載の小説。私が、この小説のことを知ったのは、山本弘君の知らない方程式 BISビブリオバトル部』の中で、ヒロインの伏木空が、この本を紹介していたから。ストーリーを魅力的に語って、「面白そう」「読んでみたい」と思わせるのは、さすがプロの作家の筆と言うべきで、『ゲームウォーズ』そのものの紹介は、そちらに譲ったほうがよいでしょう。


 私が、今回、書くのは、作品中に登場する奴隷の描写についてです。
 『ゲームウォーズ』の作品世界では、債権者が、債権の回収のために、債務者を拘束して労働させることができます。「清算労働者」と呼ばれるが、債務奴隷なのであり、主人公は、ある目的のため、清算労働者として、敵役の企業にもぐりこむ。

年棒は2万8500ドル。そこから住居費、食費、各種税金、歯科と眼科を含む医療費、娯楽費が自動的に差し引かれる。残った分(があれば)は全額、未払負債の返済に充当される。返済が完了した時点で清算労働は終了だ。勤務成績によってはIOIに正社員として登用される可能性もある。
 決まっているだろう? そんな話、みんな嘘っぱちさ。返済を完了してめでたく釈放なんてことはありえない。差し引き生活費、延滞金、遅延利息を加算していくと、毎月、負債が減るどころか、逆に増えていく仕組みになっているんだから。うっかり連行されたら最後、死ぬまでここで清算労働だ。

典型的な債務奴隷の姿です。しかし、例えば、慰安婦問題否認論者などは、「報酬や娯楽のある奴隷(笑)」といって、これは奴隷ではない、と言うのでしょう。しかし、『ゲームウォーズ』の主人公は、はっきりと「清算労働者」を奴隷として認識しています。

 企業の奴隷となって死ぬまでここで暮らすんだよ、ジョニー。ぼくは心のなかでそう教えてやった。しかし口には出さず、親切なIOI人事担当者がまたもや画面に現れて清算労働者の日常を明るく説明するのを黙って見守った。
 ここにいるのは清算労働者ではなく、ふつうの従業員だ。今日の仕事が終われば家に帰ることができる。会社を辞めることだってできる。考えたことはないのだろうか。数千名の清算労働者がこのビルに住み、すぐ近くのフロアで奴隷のように働いていることを。それを知っていて、なんとも思わないんだろうか。

 退職や居住の自由がないことが、奴隷であることの要素だと、主人公が考えていると分かります。念のために言っておきますが、『ゲームウォーズ』はSFに分類されるとは言え、現在の人類社会と社会通念が著しく異なる社会を描いてはいません。登場人物の多くが、金銭欲があるし、われわれと同じようなことにコンプレックスを抱いています。何が奴隷であるかについての主人公の判断基準は、常識的なものでしょう。
 むしろ、現代日本でよくみかける、「報酬や娯楽があったら奴隷じゃない」という主張がむしろ、SF的と言わざるを得ません。