人それを奴隷と呼ぶ

以前、
頼むから外国語に翻訳して世界に拡散しようなどと考えないでくれよ。〜「朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会」の報告書 - davsの日記
という記事を書いたが、朝日新聞慰安婦報道」に対する独立検証委員会の報告書を掲載していた日本政策研究センターのサイトに『The Comfort Women Issue in Sharper Focus』というタイトルの冊子が掲載されていた。英語版と日本語版があり、筆者として名前が挙がっているのは、西岡力氏だ。
http://www.seisaku-center.net/node/840

奴隷とは人間でありながら所有の対象にされている者を言います。人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われ、所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた人々です。では、慰安婦の女性たちはそうした奴隷だったのか。だとすれば誰の所有の対象だったのでしょうか。所有の対象とは労働の対価をもらうことができない存在です。しかし、多くの慰安婦は当時の軍人らの給与と比べて大変多額の収入があり、故郷に多額の送金をしていたことが明らかになっています。(pp.13〜14)

 奴隷の定義についての記述が、ウィキペディアの「奴隷」の項目のそれとそっくりなのだが、引用元として明記されていないところをみると偶然の一致なのだろう。
 従軍慰安婦は好待遇だった説に対しては、吉見義明氏の『日本軍「慰安婦」制度とは何か』 (岩波ブックレット 784)などでも批判されている。
 本記事では、西岡力氏の主張の通り、給与を受け取っていたり、待遇がよければ奴隷であると言えないのか、述べたい。
 給与をもらったり、好待遇の奴隷はあり得る。例えばオスマン帝国のイェニチェリは奴隷であるが、給与を受け取っていた。またマムルークも奴隷だが、馬や武器を与えられており、低待遇だったわけではない。古代ローマでも、家内奴隷には、好待遇のものがいた。それでは、彼らは奴隷ではないのかといえば、やはりそうではなく、奴隷だろう。奴隷制には、多く、過酷な労働や、虐待がつきまとうが、それらが、必要条件であるというわけではない。

 慰安婦が奴隷といってよいか考えるために下のような思考実験をするのがよいだろう。 
慰安婦が「来月でこの仕事を辞めて故郷に帰ります」と言った場合、慰安所の経営者や監督者は、
「そうなの、それはいままでごくろうさん」
というだろうか。それとも
「お前には元手がかかってるんだ。勝手に辞めることができると思っているのか。やめるなら金を払え」
と言うか。西岡氏の主張が正しければ、前者の答えが返ってくるはずだ。


 さらに西岡氏は、「当時は公娼制度がありました。慰安婦はそれを戦地に拡張したものです。」と従軍慰安婦が奴隷だったことを否定するのだが、公娼制奴隷制であるという見方をすれば、何の意味もない主張だ。
0-3 公娼制度は当たり前だったか? | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
公娼制度は国家公認の人身売買による奴隷制度:1910年代〜1930年代 - Transnational History
 公娼制が当たり前のものではなくなってきていた「当時の価値観」からしても、西岡氏の人権感覚は、後退したものだ。

この冊子で一番ひどいのが、巻末に付けられた「日本人捕虜尋問報告49号」の島田洋一氏による訳だ。

巻末資料につけた、米軍による韓国人慰安婦尋問調書をぜひ読んでください。(p16)

というコメントが付けられているが、タイトルを「米国戦争情報局心理作戦班「朝鮮人慰安婦に関する報告書」(抄)」としている。英語版では全文を載せているのに日本語版では、「(抄)」と書かれているから、嫌な予感がしたのだが、案の定、トリミングのオンパレードだった。
序文からしてこんな調子だ。

この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチーナー陥落後の掃討作戦で捕らえられた20名の朝鮮人慰安婦と2名の日本人経営者への尋問で 得た情報に基づいている。慰安婦とは、娼婦あるいは「兵営御用達」以外の何ものでもない。

 英語版と比べれば分かるが、第2段落の全部と、第3段落のほとんどが、翻訳されていない。"the Japanese recruited"(日本軍が徴集)や"attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers"(将兵のために日本軍に所属)と言った軍の関与、軍との関係を示す部分がそっくり消されている。
 続いて、「募集」の項目

1942年5月初旬、日本のエージェントらが、東南アジアにおける「慰安サービス」に就く朝鮮人若い女性を募集した。「サービス」の性格は特定されなかったが、負傷兵を見舞い、包帯を巻き、一般的に言って兵士を幸せにする仕事だとされた。これらエージェントが用いた誘い文句は、大金、一家の借金の清算、楽な仕事、新天地での新人生などであった。こうした口車に乗せられて多くの女性が海外勤務に応募し、数百円の前金を受け取った。
「この世で最も古い職業」にすでに関わっていた者も若干いたが、大部分は無知で無教養な女性たちであった。

ここも、ミッチナ駐屯部隊長が慰安所の名称を変えさせたくだりなど、およそ半分の部分が訳されていない。「大部分は無知で無教養な女性たちであった」というところに、島田洋一氏の気持ちがあらわれている。ここは「この世で最も古い職業」つまりは売春にすでに関わっていた者との対比で、売春とそれまでかかわりがなかったという主旨ではないだろうか。さらに朝鮮人の女性たちが、就業詐欺や人身売買で慰安婦にされたという記述を誤魔化さず、翻訳しているのも興味深い。ここで筆を曲げるのが、一貫した態度だと思うが、島田氏は、騙したり、借金で縛って売春を強要しても問題ないと、考えているのかも知れない。しかし、これって、慰安婦が奴隷である証拠ではないか。

続いての「性質」の項目も完全な訳ではない。

朝鮮人慰安婦の平均年齢は約25歳、無教養で子供っぽく、気まぐれ、自己中心的だった。知らない人間の前では大人しかったが、「女の手練手管」は心得ていた。自らの 「職業」が嫌いだと言い、仕事や家族について話したがらなかった。中国兵とインド兵を怖がっていた。

"she feels that they are more emotional than Japanese soldiers"、彼ら(米兵)の方が日本兵より人情があると感じている、と言った文が訳されていない。

 この後の各項目も、資料として役立たないほど、訳に欠落がある。「ぜひ読んでください。」と言っているのは何のためか、理解に苦しむほどだ。