馬鹿だ。本物の馬鹿だ。〜「朝日新聞を糺す国民会議」の日本外国特派員協会での記者会見

2015年2月23日、「朝日新聞を糺す国民会議」の水島総氏、加瀬英明氏、が日本外国特派員協会での会見を行ったことについて。

【詳報】"日本国の誇りを取り戻す"〜「朝日新聞を糺す国民会議」の水島総氏・加瀬英明氏が会見 (1/2)

すでに、あちこちで批判されている。

水島総氏たちは、日本に奴隷がいなかったとか、宗教的抗争がなかったとか、事実と異なる主張を行って、日本人は平和的・人道的だ、と主張する。

日本人は大変寛容で、虐殺や、あるいは無闇な殺生を嫌う国民です。
水島氏は、第3次ポエニ戦争の例まで持ち出す。
日本の歴史の中で、ひとつの都市や多数の者を大虐殺する、何万人も何十万人も殺すような、ローマのカルタゴのような事例はありません。
 ある時代に、日本列島やイタリア半島に住んでいた人びとの行動様式が、後の時代にその地域に住む人間に継承されると言っているわけだが、どのようなメカニズムなのだろう。昔アパートのある部屋に住んでいた人間が、放火事件を起こしたら、その後、その部屋に住む人間も放火犯になる、と言っているようなものだ。  水島氏たちはそれは文化の継承だ、というのかも知れないが、文化は変容しやすい。祖父が石器作りの職人で、孫が飛行機の操縦士であるとか、祖母が使っていた言語を孫が全く理解できない、ということもあり得る。だいたい日本人も幕末には、時間にいい加減だと言われていた。現代の日本は、遅刻に寛容な社会だろうか。  さらに水島氏たちの行動で理解できないのは、自分たちの主張を相手に理解してもらうために行っている記者会見のはずなのに、相手を敵にまわすような言動をとってることだ。
―私自身も外国特派員として35年以上日本におりますので、日本について無知とか、知らないと言われるのを屈辱的に思う。カルタゴみたいなことは歴史に無かったというが、戦国時代においても似たようなことはあったんではないかと強く思う。(拍手や、制止する司会の声が飛び交う。)(イタリアの記者)
 はては、「彼は質問に答えていない!」などと言われてしまうゆえんだ。外国特派員たちは、日本の歴史修正主義者たちが、おかしなことを言っている、と記事に書くことになるだろう。

 まあ、海外向けのアピールというより、「海外にアピールしていますよ」という国内の支持者向けのアピールだったのではと思う。

【以下追記】

 今日、上の記事を書いた後、『翼を持つ少女 BISビブリオバトル部』(山本弘)を読んでいたら、水島氏たちにあてはまるような、記述にあたって、驚いた。
 以下は登場人物のひとりの述懐である。
どうも世の中には、自分が言いたいことを言うためなら、聞き手を敵に回してもかまわないと思う人がいるようです。自分の意見を主張するのは、同調者を求めるためじゃないんですか? わざわざ自分が不利になるようなやり方で意見を主張するって、根本的に目的を見失っていませんか?