また、池田信夫氏がおかしなことを言っています。〜従軍慰安婦は一種の徒弟修行!?

池田信夫 blog : アメリカ人の誤解している「性奴隷」

それに対して日本では、奴隷も人身売買も公認されたことはない。慰安婦の多くは年季奉公であり、これは職人や丁稚にもみられる古くからの慣習だった。これを"indentured servitude"などと訳すのが間違いのもとで、これは黒人の場合は期限つきの奴隷のことだ。しかし年季奉公は一種の徒弟修行で、多くの場合は本人も合意の上で奉公に出た。

じゃあ、律令制度のもとの奴婢は?
 奴婢をおいても、池田氏の論理は(いつも通り)おかしい。まず、あることがらが、国家に公認されているかどうかと、それが存在しているかは無関係だ。麻薬売買を公認している国家は、ほとんど皆無だろうが、多くの国で麻薬の売買が行われている。池田氏は「日本では、奴隷も人身売買もなかった」とは言っていないが、読者の思考をその方角に誘導しようとしている。
 年季奉公のあたりの一節もひどい。まず、「これを"indentured servitude"などと訳すのが間違いのもとで」とあるが、おそらく従軍慰安婦のことを英語で説明する際に、この用語が使われたと言っているのだろうが、誰がどこで翻訳したのか言ってくれ。ソースを確認できないではないか。
 池田氏は何の根拠も示さすに、
 従軍慰安婦年季奉公=一種の徒弟修行
という結論を滑り込ませている。池田氏は、従軍慰安婦になることで、将来の職業生活に役立つ何かが身に付くと言っているのか。だとすれば、自分の正気を疑ったほうがいい。
 
 もしかしたら

  1. 従軍慰安婦について"indentured servitude"と説明されているのをみた。
  2. "indentured servitude"の定訳は「年季奉公」だ。
  3. 日本の「年季奉公」は一種の徒弟修行だ。
  4. よって、従軍慰安婦は徒弟修業で、性奴隷じゃない。

と言った支離滅裂な論理が池田氏の脳内で形成されたのかもしれない。従軍慰安婦の実態を鑑みて、日本語の「年季奉公」を介さず、"indentured servitude"と翻訳したと考えるほうが自然だ。

 池田氏は過去の世界では、従軍慰安婦は、奴隷ではないと言いたいのかも知れない。そこで、池田信夫氏におすすめしたい本がある。
1926年に出版された『日本奴隷史』(阿部 弘臧著)という、そのものずばりのタイトルの本だ。この本で、日本における奴隷の例として挙げられている存在のひとつに「越後獅子」(角兵衛獅子)がある。『日本奴隷史』で取り上げられているのは、踊りのことでなく、踊り手のことだが、彼らは身売りされたり、誘拐されたりして、大道芸に従事することを強制されていた。だから奴隷なのだ、というわけだ。この本の基準をあてはめれば、従軍慰安婦は間違いなく奴隷だろう。

下は1996年の復刻版