差別される側が差別されないよう努力しろ。しかし、差別に対して抗議や反対するな、と考えている人がいる。

大阪市:「人権問題に関する市民意識調査」の調査結果をとりまとめました (…>人権・多文化共生(ダイバーシティ推進)>イベント・お知らせ)

大阪市内に居住している満20歳以上の男女2,000人対象の調査。(有効回収標本数 716標本(回収率35.8%))

「差別されている人は、まず、自分たちが世の中に差別されないよう努力することが必要だ」と考えている人が半数を超えている。この「努力」というのものを何と想定しているかが問題だが、「差別に対して抗議や反対をすることによって、より問題が解決しにくくなることが多い」と答えた人間が半数近くいることを考えたら、かなりの数の人は、「努力」には差別への抵抗は含まれていないと考えているのだろう。
 
 回答数から考えたら「差別されている人は、まず、自分たちが世の中に差別されないよう努力することが必要だ」に「そう思う」又は「どちらかといえばそう思う」と答えた人間の中に、「差別に対して抗議や反対をすることによって、より問題が解決しにくくなることが多い」に対して「そう思う」又は「どちらかといえばそう思う」と答えた人間が含まれていることは確実だ。実際にはこのふたつのグループは、かなり重なっていると想像できる。
 
 いじめられる奴は、まず自分をなおせ、分をわきまえておとなしくしていろ、生意気なことをするな、と言い放つ、小学生みたいな感覚を、20歳を過ぎても保持している男女がいるというのは、慄然とする光景だ。

 設問も私人間の人権問題ばかりというのも気になるところだ。人権というのは、そもそも対国家防御権なのだから、「人権上どの程度問題があると思うか」の例として「君が代を歌うことを強制する」とか「公的機関が、思想調査する」等も入れればよかったのにと思うのだが、大阪市では無理なのかな。

「犯罪被害者やその家族の氏名や住所を、本人の了解なしに報道すること」と「野宿生活者(ホームレス)が生活している公園では、子どもを遊ばせないようにすること」への回答に大きな差があるが、人権というのは、世間様が無垢と判定した者に与えるものという傾きがあるのだろう。