俺はお前を信頼しないぞ、という奴が信頼されるのだろうか。

既に各方面で話題になっている元小結の舞の海秀平氏の珍説。残念ながらエイプリルフールの記事ではないのだ。
【憲法記念日】舞の海氏が新説「日本人力士の“甘さ”は前文に起因する」「反省しすぎて土俵際…」(1/2ページ) - 産経ニュース
もはや、特定の国や、特定の人物への攻撃と解釈するしかない言説だ。ルールを破って相撲に勝っている人間がいるというのなら、それは勝敗の判定が誤っているということだ。だいたい、相撲は国別対抗競技ではない。日本人力士が優勝できないのがそれほどの問題なのか。一応言っておくと、2012年に日本人力士の旭天鵬幕内最高優勝を果たしているのだが。

「これは何かに似ている」と思って考えてみたら憲法の前文、「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に行きついた。逆に「諸国民の信義」を疑わなければ勝てないのではないか。

何の勝負に勝たなければならないのだろうか。舞の海秀平氏は、諸国民と暴力によって資源や奴隷を奪いあう世界を念頭に置いているのかも知れないが、そんな世界で買っても不毛だ。交易で国を豊かにしようと考え、諸国民を商売の相手と考えるのなら、ひとまずは相手を信頼しなければはじまらない。最初から相手を信頼しないという人間を商売の相手にする人間がいるものか。

私たちは反省をさせられすぎて、いつの間にか思考が停止して、間違った歴史を世界に広められていって、気がつくとわが日本は国際社会という土俵の中でじりじり押されてもはや土俵際。俵に足がかかって、ギリギリの状態なのではないか。

南京虐殺はなかった」、「慰安婦は奴隷ではない」と唱えるのが「反省をさせられすぎ」の事例なのだとしたらそうだろう。明らかにおかしなことを宣伝していたら、信頼を失うという単純なことだ。