この池田信夫の論理はおかしい。よくあることだけれど

慰安婦問題を現代の価値観で裁くのはナンセンス – アゴラ

池田信夫氏が上の記事で、橋下前大阪市長から従軍慰安婦問題について、批判を受けたことに反論している。
橋下前大阪市長の「慰安婦が必要だった」発言を援護射撃しなかったことを責められての、反論らしいが、池田信夫氏が「従軍慰安婦制度は女性への人権侵害だった」という論に与するようになったということではない。

池田信夫氏にとって、「従軍慰安婦制度は女性への人権侵害だった」というのも、「従軍慰安婦制度は必要だった」というのも、「非歴史的な価値判断」なのでナンセンスということらしい。

これは慰安婦が強制連行ではなかったという事実認識とは別の問題である。この歴史的事実にはもう争いはないが、それを正当化するかどうかは別の問題だ。歴史学では、「慰安婦は女性の人権侵害だ」というような非歴史的な価値判断はすべきではないとされている。そんなことをいったら戦争そのものがとんでもない人権侵害で、慰安婦なんか大した問題ではない。

慰安婦が強制連行ではなかった」ことに争いがないのは、おそらく池田信夫氏の脳内だけの話だろう。「非歴史的な価値判断はすべきではないとされている。」というが、誰が言っていることなのだろうか。よしんば、歴史学でそうであっても、他の枠組みから、「従軍慰安婦制度は女性への人権侵害だった」という指摘をすることは可能だろう。だいたい、池田信夫氏も自身のブログ記事で、過去の人物やことがらに価値判断をおこなっているのだ。
池田信夫 blog : ミミズのような中国に「国家」はできるのか
 池田信夫氏は上の記事で、「皇帝を失った中国はミミズのような無頭生物であり、日本の支援なしには自立できない」というかつての日本の判断は正しい、と言っているが、これは池田信夫氏のいうところの「非歴史的な価値判断」ではないのだろうか。

 さらに、読めば読むほど、頭痛がするのは、最後の段だ。

もう一つの問題は、当時の売春は人身売買と結びついていたことだ。年季奉公は西洋の奴隷制とは違うが、娼婦の身体を拘束する点は同じだ。戦前には売春は合法だったが、人身売買は民法で禁じていた。多くの慰安婦は人身売買で売られたので、価値判断を抜きにしても違法だった。

いずれにせよ、戦時中の慰安婦に現代の価値観を遡及適用して裁くのは(肯定にせよ否定にせよ)ナンセンスだ。慰安所の運営には政府が関与したが、強制連行はなかった。この事実を確認することがすべてで、そこに「女性の人権」や「日本軍の正当性」などの価値判断をまぎれこませるべきではない。

この部分の池田信夫氏の主張をまとめると以下のようになる。

  1. 当時も人身売買は違法だった。
  2. 多くの慰安婦は人身売買で売られたので、価値判断を抜きにしても違法だった。
  3. 慰安所の運営には政府が関与した。

 池田信夫氏のこの部分の記述に従えば、従軍慰安婦制度は当時の価値観によっても、批判されるべきものということになるはずだ。さらにそれに関与していた日本の当局も指弾を免れないだろう。それにもかかわらず、戦時中の慰安婦に現代の価値観を遡及適用して裁くのはナンセンスと言うのだから、池田氏は、曲芸的な論理を駆使しているとしか言いようがない。