『人種とスポーツ』

「黒人の身体能力にはかなわない」と言った主張は、スポーツ中継の解説でも飛び出ることがあるのだが、「黒人は本当に「速く」「強い」のか」と副題を付けられた本書は、人種差別とスポーツとの関わりの歴史をのべつつ、そうした「黒人=天性のアスリート」説を批判的に検討している。

本書は「黒人」という言葉を使いつつ、その使い方はきわめて慎重だ。

「黒人」とはだれかー。ひとまず英語で「ブラック(black)」と呼ばれる人びとであるとしておこう。
 では英語の「ブラック」とはだれなのか。
 それは、アフリカ大陸のサハラ砂漠以南の地、すなわち「サブサハラ(sub-Sahara)」を出自とする人およびその子孫のことである。
(中略)
 ここで特に強調しておかなければならないが、このような意味で「黒人」を用いるからといって、「黒人」という人間集団を厳密に定義できるものとして認めているわけではない。むしろ本書は。「黒人」がとてもあいまいな概念であると示すことになる。だがこの言葉が広く一般に流通している以上、この事実を受け止め、サブサハラを出自とする人びとを「黒人」と呼ぶところから出発する。
(中略)
「人種」の境界は、現代科学の眼から見ると主観的で恣意的なラインにすぎない。その意味では、いかなる「人種」分類を文化的な作り物にすぎないことになる。ここではこの点をしっかり確認しておこう。(pp3-5)


 この紹介記事も上記の問題意識をもって書くことにする。

 驚くことに19世紀後半には、白人の方が運動能力において、黒人よりすぐれている、という主張が力を持っていた。
 黒人は天性のすぐれた身体能力を持っている、というステレオタイプがうまれたのは1930年代だという。この頃のナチズムの台頭に対抗して、アメリカ国民は自らを民主主義と自由の旗手と任じ、それが黒人選手の活躍への注目につながるわけだが、その一方で黒人の運動能力へのステレオタイプがうまれてくる。黒人選手に敗北した白人選手が、黒人の勝因を先天的な資質や才能に求めた。「やつらは努力しなくても勝てるんだ」というわけだ。
 話が横に入るが、この頃日本人が三段跳びに強いのは、正座をして幼少期から脚力を鍛えているからという説も生まれたそうだ。
 皮肉なことだが、黒人の間でも、「黒人=天性のアスリート」ということを信じるものが多く、それがスポーツの世界での活躍の原動力になった面もある。

 こうしたステレオタイプは、現在も生き残っているが、それに対する反証のひとつが、同じように西アフリカを出自とする黒人が多い国であるのに、その国の選手が得意とする競技種目が異なるドミニカ共和国とジャマイカの例だ。ドミニカ共和国アメリカ合衆国メジャーリーグの選手を輩出する野球王国だが、陸上競技では、おそらく日本にも敗ける。一方、ジャマイカはオリンピックの陸上競技で多くのメダルを獲得しているが、同国代表の野球チームが、日本代表の野球チームに勝つことは難しい。ある国の運動選手が、どの競技が得意か、ということは、人種による説明に飛びつくより、歴史的・文化的な文脈で理解すべきだろう。