間違ったことを大声で言えば批判されるのは当たり前〜百田尚樹『大放言』

大放言 (新潮新書)

大放言 (新潮新書)

新潮新書『大放言』(百田尚樹)のカバーには下のような紹介文が書いてある。

思ったことや軽いジョークを口にしただけで、クレーム、バッシングの嵐。求められるのは人畜無害な意見ばかり。こんな世の中に誰がした! 数々の物議を醸してきた著者が、ズレた若者、偏向したマスコミ、平和ボケの政治家たちを縦横無尽にメッタ斬り。炎上発言の真意から、社会に対する素朴な疑問、大胆すぎる政策提言まで、思考停止の世間に一石を投じる論考集。 今こそ我らに「放言の自由」を!

 本書を一読して印象に残るのは、百田尚樹氏の被害意識だ。彼は自分が正しいことを言っているのに、いや正しいことを言っている故に迫害を受けていると考えているのかもしれない。しかし、百田氏の方が彼に対する批判者より、権力に近い。事実、今回のような好き放題なことを書いた本を出版できるのだから。

 さらに既存のタブーに挑戦する言説が常に正しいなどということはない。本書もその弊を免れない。おかしなところが数えられないくらいあるのだ。例えば南京事件についてはこんな様子だ。
 
 

南京大虐殺は日本軍が1937年の12月に南京を占領した直後から、蒋介石が子飼いのアメリカ人ジャーナリストたちを使って盛んに宣伝した。しかし当時、南京にはそれ以外の各国の特派員たちが大勢いたが、報道した記者はいない。

百田氏のいう蒋介石子飼いのアメリカ人ジャーナリストというのは、「ニューヨーク・タイムズ」のダーディン、「シカゴ・デイリー・ニューズ」A・T・スティールたちのことだろうか。この手の陰謀史観は、もはや手あかにまみれており、「南京事件FAQ」に項目がたてられているほどだ。
 外国人記者が国民党のエージェントというのは妄想 - 南京事件FAQ
 こんなことを書く、百田氏は、彼らが国民党政府のエージェントだったという根拠を示すべきであるし、さらに彼らの報道が捏造だ、ということもあきらかにしなければならない。だいたい、大勢いた「それ以外の各国の特派員たち」は誰で、どんな報道をしたか教えて欲しいものである。さらにいうと、日本軍による残虐行為を書いたら、国民党政府のエージェント、ということなら、非戦闘員や捕虜の虐殺について日誌、日記に書き残した日本軍将兵も国民党政府のエージェントだったのだろうか。

南京大虐殺には伝聞証拠以外に物的証拠はないし、今に至るも何の検証も行なわれていない。

 へぇー、百田氏の日本語では伝聞証拠は物的証拠に入るのだな。百田氏の日本語運用能力はともかく、南京事件の証拠は伝聞証拠以外にあるし、「今に至るも何の検証も行なわれていない」というのなら、図書館や書店に行ってみることをすすめる。大体、「今に至るも何の検証も行なわれていない」というのなら、百田氏は何に依って、南京事件について書いたのだろう。

また東京裁判では、上官の命令によってたったひとりの捕虜を殺害したり虐待しただけで絞首刑にされたBC級戦犯が1000人もいたのに、30万人も殺したはずの南京大虐殺では、南京司令官の松井石根大将1人しか罪を問われていない。

 松井石根は、南京司令官ではなく、上海派遣軍司令官だ。南京軍事法廷で死刑となった第6師団長谷寿夫らのことを無視している。百田氏は、南京事件について何で調べたのだろう。
 後、本多勝一氏の本が出るまで、中国政府が南京事件を一度たりとも問題にもしていなかったとか、いろいろアヤシイ話を書いてくれる。

話がかなり脇道にそれてしまったが、私が演説で本当に言いたかったことは、「東京大空襲」のところでも述べたとおり、「自虐思想から脱却すべき」ということだった。南京大虐殺の否定はその流れでの発言だ。
しかしメディアには「南京大虐殺はなかった」という発言だけを切り取られ、大いに叩かれた。

 そりゃ、「南京大虐殺はなかった」なんて、歴史修正主義まるだしの意見を表明したら、批判も受けるだろう。第一、百田氏は自分の演説の要旨を書いているが、どう読んでも言いたかったことは、「南京大虐殺はなかった」こととしか解釈できない。メディアの批判は、正鵠を射ていたと言える。

東京大空襲」の話が出たが、百田氏はこの空襲についてこう書いている。

この大空襲により、一夜にして10万人を超える日本人が殺された。そのほとんどは女性と未成年者である。これが大虐殺でなくて、何なのだ。

 東京大空襲を大虐殺と評することと、犠牲者に女性と未成年者が多かったことは同意するが、犠牲者のほとんどが女性と未成年者だったまでとは言えない。下の資料を読むと、成人男性も多く犠牲になっていることが分かる。
「すみだ郷土文化資料館だより」第45号

 日本軍による捕虜や非戦闘員の殺害について書かれた文章に、百田氏が東京大空襲について書いたほどの疵があれば、百田尚樹氏などの歴史修正主義者は、かさにかかって「ほらみろ、捏造だ」と責めるだろうと思う。これは百田氏が南京事件について書いた文章を読んで抱いた印象である。