程瑞芳の日記は、「伝聞情報に依拠した記述ばかり」ではない。

南京事件関連の資料がユネスコ記憶遺産として登録されたことに対して、日本が意見書を提出したことについて。
http://mainichi.jp/shimen/news/20151106ddm001040141000c.html

 意見書は明星大の高橋史朗教授が作成した。ユネスコ日本代表部の佐藤地(くに)大使の意見書などとともに、ユネスコ世界記憶遺産国際諮問委員会に9月末、提出された。

 高橋教授は意見書で、中国が一部公開した申請資料を分析。申請資料だけでは「内容の真正性について判断することができない」と指摘した。

 意見書は、「約100名の日本兵が『大虐殺』の存在を否定する本を出版している」と記し、南京市にいた中国人女性の日記についても「伝聞情報に依拠した記述ばかり」と記述。さらに、事件自体を否定する主張で知られる亜細亜大の東中野修道教授の著書を引用して、中国が提出した写真の撮影時期に疑問を呈し、「関連性が疑われる」とした。

 記事で言っている「南京市にいた中国人女性の日記」に該当するのは、今回登録されてた資料のうちでは、国際安全区の金陵女子文理学院の宿舎管理員、程瑞芳の日記しかない。この日記は1937年12月8日から翌1938年3月1日まで書かれているが、1937年12月8日から同月31日分までの翻訳が、『戦場の街南京―松村伍長の手紙と程瑞芳日記』(松岡環編著)に載っている。

見聞の範囲は、ほぼ金陵女子文理学院に限定されているが、日本軍の兵士による女性の拉致や強姦、略奪について日記に記している。(括弧内の日付は引用者)

昨夜、日本兵に連れて行かれた女の子達は今朝になって皆返された。一人だけ帰って来ていない。日本兵にどこかに留置されたか、恥ずかしくて自ら帰ってこないのかは分からない。(12月18日)
昨夜、憲兵が正門の方で寝ているにもかかわらず、夜中に日本兵が入ってきた。彼らは五百号のリビングで大勢の前で女性を強姦した。今日の昼間も二人の兵隊が五百号にやってきた。一人は入り口で見張りをして、一人は部屋の中に入って来て、女の子一人だけを残してほかの人を皆追い出した後強姦した。(12月19日)
今日もたくさんの難民が来た。二百号〔文学館〕の三階までぎっしり埋まっている。おそらく憲兵が保護していると思って避難してきたと思うが、憲兵も女の子を庭に引きずり出して強姦する。彼らは人間じゃない。場所を問わないでやる。畜生だ。今日の昼、兵隊が来て二人の女の子を連れて行く時、彼女達の物まで奪って行った。(12月20日

 とても、「伝聞情報に依拠した記述ばかり」とは、評価できない。あるいは、南京事件とは、大量の人間を一ヶ所に集めて一時に殺した事件と考えて、強姦や略奪は埒外だとしているのかもしれないが、それは誤解というものだろう。