『永遠の0』が描くミッドウェー海戦は不思議な事だらけ
前回に引き続き、『永遠の0』(百田尚樹)について。
宮部久蔵の孫は、元海軍中尉の伊藤寛次から、珊瑚海海戦とミッドウェー海戦について話を聞くのだが、「地元の商工会のかなりの大物」でもある伊藤は、年月が経過したせいか、おかしなことを言ってしまう。いや、作者の百田氏に言わされてしまう。
それは戦友に冷たすぎないか。
さっきも言いましたが、初めての空母同士の戦いは「珊瑚海海戦」です。実はこの時の戦いでは奇妙なことが起こっています。日米とも互いに相手を見つけて攻撃隊を送ったものの双方とも接敵出来ず、一回目の攻撃は不発に終わっているのですが(後略)
1942年5月7日のことをいっているのだが、この日、日本側は米海軍の給油艦「ネオショー」を撃沈している。一方、日本側も軽空母「祥鳳」を米艦載機の攻撃で撃沈されている。これが日本海軍初の空母喪失、空母が飛行機に沈められた最初の例である。これをまるで無かったかのように語るのは、戦友に対してひどく冷たくないか。
話が複雑なのは、珊瑚海海戦について語っているのが、珊瑚海海戦に参加していない元海軍軍人であることだ。伝聞によって情報がゆがむということを百田氏は書きたかったのだろうか。
あなた本当に元海軍中尉なの?
ミッドウェー海戦についてもおかしな記述が出てくる。伊藤は赤城に乗り組み、ミッドウェー島への空襲に参加する。
あれは私がミッドウェー島の第一次攻撃から戻り、艦内の待機所で休んでいる時でした。突然、甲板上に待機していた攻撃機の魚雷を陸上用爆弾にする換装が始まったのです。どうやら、ミッドウェー島の二次攻撃をやることに急遽決まったようです。それまでは敵機動部隊に備えて、攻撃機は艦船攻撃用に雷装されていたのですが、索敵状況から敵機動部隊は周辺にはいないとみて再び陸上基地攻撃に作戦が変更になったのでしょう。
実に素晴らしい。伊藤元海軍中尉には経験できないはずのことをさも経験したように語っている。そのことを説明する前に、伊藤の回想を続ける。
彼の解説によれば、この後、二時間をかけてミッドウェー島から飛来する米軍機の攻撃を撃退しながら魚雷を陸上用爆弾に換装するのだが、作業が完了したという時に、索敵機から敵機動部隊らしきものを発見という報が入る。今度は、逆に陸上用爆弾を魚雷に換える作業を開始する。今度は米空母からの艦載機の攻撃をしのぎながらの換装作業となるが、とうとうしのぎ切れずに日本の空母は爆弾を受けて沈んでしまう。
つまり、『永遠の0』のなかで伊藤が語るミッドウェー海戦の流れはこうだ。
- 日本側のミッドウェー島への第一次攻撃隊が、空母に帰投する。
- ミッドウェー島への第二次攻撃のため、攻撃隊の兵装を対艦船用のものから対陸上用のものに転換する作業を始める。
- ミッドウェー島からの米軍機の来襲を受けるが、撃退する。
- 日本側の索敵機が米機動部隊を発見する。
- 攻撃隊の兵装を対陸上用のものから対艦船用のものに転換する作業を始める。
- 5の作業が完了しないまま、米機動部隊からの艦載機の攻撃を受け、日本の空母が沈む。
ところが、『ミッドウェー海戦〈第2部〉運命の日 (新潮選書)』(森史朗)などを参考に史実をまとめるとこうだ。
- ミッドウェー島への第二次攻撃のため、攻撃隊の兵装を対艦船用のものから対陸上用のものに転換する作業を始める。
- 日本側の索敵機が米機動部隊を発見する。
- 攻撃隊の兵装を対陸上用のものから対艦船用のものに転換する作業を始める。
- 1から3に前後してミッドウェー島からの米軍機の来襲を受けるが、撃退する。
- 日本側のミッドウェー島への第一次攻撃隊が、空母に帰投する。
- 3の作業が完了しないまま、米機動部隊からの艦載機の攻撃を受け、日本の空母が沈む。
伊藤が、ミッドウェー島の第一次攻撃に参加していたら、兵装転換の開始や、米機動部隊の発見の報が入った時には、空中にいたはずで、回想のようなことを経験することはあり得ない。
『永遠の0』のなかで伊藤が語るミッドウェー海戦だと、日本海軍は、第一次攻撃隊が戻ってくるまで、第二次攻撃隊をむなしく甲板上に待機させていたことになる。『永遠の0』のなかで、消極性を批判される南雲中将だが、いくらなんでも、そんなことをしないだろう。第一、待機中の第二次攻撃隊で飛行甲板がふさがっていたら、伊藤たちはどうやって空母に着艦したのか。
百田氏が、ひとりの回想でミッドウェー海戦を語ろうとしたためにおかしたミスでなかったら、伊藤が戦後読んだ本と、自分の経験を混同していることを表現したかったのだろう。それとも、「運命の五分間」と同じように、伊藤の回想も捏造だ、と言いたかったのか。
さらに百田氏は伊藤に元海軍軍人としてはあるまじきことを言わせる。(文庫版p108)
「こうしている間に敵が来るかもしれません」 宮部は独り言のように呟きました。私は愚かにも初めてそのことに気がつきました。私は勝手に、我が方が一方的に敵機動部隊を発見しているとばかり思っていたのです。
宮部たちが飛び上がってからも、魚雷換装は遅々として進みませんでした。こうしている間にも、敵機動部隊にいつ発見されるかわかりません。
ちょっと待ったぁ〜! その前の105ページに「ミッドウェー基地から何機か敵の攻撃機がやって来ました」と書いてあるのだが。これって、米軍に発見されているということではないか。米軍に攻撃を受けていても、米軍に発見されていない、と言っているのに等しい。まさか、伊藤はミッドウェー島からの索敵機の情報は、米機動部隊に伝わらない、とでも思っているのだろうか。米空母からの索敵機にあらためて発見されなければ、攻撃を受けないと思っているのだろうか。百他氏は、こんな海軍軍人がいたから、日本は敗けたと言いたいのだろうか。
伊藤はミッドウェー海戦についてこうまとめる。(文庫版p113)
あの戦いも運が悪かったわけではありません。やろうと思えば、もっと早くに発進できたはずなのです。陸上用の爆弾でも何でも、先に敵空母を叩いてしまえば良かったのてす。それをしなかったのは驕りです。
日本側が米機動部隊に攻撃隊を発進させようとしたら、
- (当時の空母は、発艦と着艦を同時にできないから)ミッドウェー島から帰還してきた第一次攻撃隊を不時着水させる。
- (ミッドウェー島からの米機を迎撃していて、零戦が不足していたため)戦闘機の護衛なしで、第一次攻撃隊を発進させる。
という覚悟が必要だった。また、最初の日本の索敵機からの報告は、位置情報に誤りがあったことも言わなければならない。発進させたら、ソロモン諸島の戦いより前に、多くの熟練搭乗員を失うという、日本海軍にとってより悪い結果になったとも考えられる。
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