伝統的なライフスタイルに潜むバリア

 10歳を超えた後、私が、着物を着たのは、自分の結婚式だけだ。
きものを「貴族の文化」にしたのは何か - ohnosakiko’s blog
 上記の記事では、着物の高級化、値段の高さに焦点が当たっていたが、片手の使えない私にとって、和服は物理的に着ることが出来ないものだ。くつろぐために着る温泉宿の浴衣も、帯を使う時点で、もう駄目で、旅行には必ず自分のパジャマを持参している。ジッパーやボタンを使って着る和服があればよいのだが。和服を着ていなれば白眼視される、という場面が現代日本で少ない、ことは個人的にはよかったと思う。

 日本の伝統的(あるいはそう言われている)ライフスタイルの中には、私にはとてつもなく、不便なものがいくつもあって、例えば、ふろしきの使用や、床に座っての食事はなるべく避けたいものだ。
 
 不便を忍んで、伝統文化を楽しむ、あるいは不便さそのものを楽しむ、というのは、私も嫌いではないのだが、限度がある。不便なものがスタンダードになったり、伝統を口実にバリアが温存されることは、御免こうむる。