それでは、日本には殺人も強盗も強姦も放火もないのだろう。〜藤岡信勝氏の南京事件否定論

前回の記事に続いて藤岡信勝氏が『正論』12月号に書いた南京事件について書いた記事について書く。
【世界記憶遺産】中国版「アンネの日記」こそが南京大虐殺がなかった証拠だ! 藤岡信勝(拓殖大客員教授)(1/10ページ) - 産経ニュース

藤岡信勝氏は、その記事のタイトル通り、程瑞芳日記こそ南京大虐殺がなかった証拠だ、と主張するだが、その論理は奇怪なものである。

 仮に、強姦8件以下の被害が確かに程瑞芳の目撃した被害だとしても、つまり、彼女がこの点で嘘を書いていないと仮定しても、この資料の結論は全く奇妙なことになる。ここには殺人の記録が皆無だからである。前記・松岡氏の言う通り、これが、「中国人が、南京大虐殺をその当時、その場で記録した文章」だとすれば、この資料からは「『南京大虐殺』では殺人はなかった」という結論になる。これは矛盾した、無意味な命題であるから、結局は「南京大虐殺はなかった」という命題に書きかえられる。

 驚くべきことに、中国が最も重視して、腕によりをかけて提出した第一級の資料が、何と、「南京大虐殺はなかった」という主張を裏付ける資料に反転してしまったのである。

 藤岡信勝氏は、程瑞芳日記の記述に「強姦8件、略奪6件、拉致1件、殴打1件」しか登場しない。したがって当時の南京では殺人はなかったというのだ。

 私は生まれてからこの方数十年、日本で住んでいるか、殺人も強盗も強姦も放火もその瞬間を目撃したことはない。藤岡氏の論理を用いれば、私が生まれてから、日本で殺人も強盗も強姦も放火もなかった、と言えそうである。いや、そもそも私は人が死んだ瞬間を見た事がないから、日本では人が死んでいないと主張できる。

 「強姦8件、略奪6件、拉致1件、殴打1件」と言うが、国際安全区にあり、難民の避難場所となっていた金陵女子文理学院において、しかも短期間にひとりの人間が、それだけの犯罪を目撃したのだ。おそるべきことであるし、他の場所ではさらにひどいことになっていただろうことは、推して知るべしである。

 藤岡氏のように犯行中の瞬間を目撃しなければ、その犯行はなかったような主張は、東京裁判の時のジョン・G・マギーへの弁護側の尋問でもあったものだ。笠原十九司氏の『南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社新書)』によると、「弁護人の尋問は、殺人、強姦についても犯行中の瞬間を目撃したものでなければ、他は伝聞で信憑性がないかのような極端なもので、中国人の被害届け、被害報告は信用できないという立場に立つもの」と裁判長から注意された。
 
 南京事件否定論者の多くは、どういうものか、中国人は嘘つきである、という前提をもって論を組み立てるようである。

12月20日の程瑞芳日記には、次の記述がある。

「今日もたくさんの難民が来た。二百号(文学館)の3階までぎっしり埋まっている。おそらく憲兵が保護していると思って避難して来たと思うが、憲兵も女の子を庭に引きずり出して強姦する。彼等は人間じゃない。場所を問わないでやる。畜生だ」

 この「畜生」は、はたして何国人なのだろうか。

 この時、南京は日本軍に占領されているのだから、日本軍の憲兵としか解釈しようがない。

 最後に藤岡信勝氏の記事で最も醜悪な部分を引用する。

第2に、女性の日記であるという共通性を利用し、「中国版・アンネの日記」として打ち出せば世界的に宣伝するのに都合がいいと考えたのだろう。一種の「コバンザメ商法」で、「アンネの日記」の知名度に乗っかって「程瑞芳の日記」を世界的に有名にしようと狙ったと思われる。ただし、アンネ・フランクがうら若い女性であったのに対し、「東洋のアンネ」はすでに孫のいる女だった。

 私はこの部分を読んで、ねずみの死骸を鼻先に突きつけられたような気分になった。