従軍慰安婦総数についての秦郁彦氏の推計のうつりかわり

 前回の記事に書いた、従軍慰安婦問題についての秦郁彦氏の会見の中で、「海外に展開した日本軍の兵力は約100万人」と発言したことについて、id:scopedog氏が秀逸な記事を書いている。
秦郁彦「当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人!」 日本軍の海外での戦没者数は210万人いるんですけど・・・ - 誰かの妄想・はてなブログ版
まさしく、秦さんどうしちゃったんだろう、と思ってしまうが、以前の彼は『昭和史の謎を追う』下巻の「従軍慰安婦たちの春秋(上)」にこんなことを書いていた。漢数字は、可読性を考慮して算用数字に改めた。(以下同じ)

全体像のなかでとくに至難なのが、慰安婦の総数である。軍中央部や総軍レベルで集計した形跡はないので、兵員数にある比率を掛けて試算するほかないが、日米開戦時と終戦時(カッコ内)の外地所在の陸軍兵力を戦域別にあげると、関東軍75万(50万)、支那総軍62万(105万)、南方軍39万(61万)など計176万(216万)で、別に海軍が32万(40万)あり、8年間の戦死者が200万に達する。慰安婦が配置されなかった地域も考慮に入れて、母数となる兵力を300万と仮定しよう。
(中略)50人に1人で計算して6万、女が1.5交代したとして9万となる。(文庫版pp486-487)

 この秦氏の推計について、吉見義明氏は『従軍慰安婦 』にこう書いた。

秦郁彦はつぎのような推計を試みている。アジア太平洋戦争期に軍慰安所が置かれていた海外地域の兵員数を平均300万人とし、兵員50名に1名の慰安婦がいたとみて、慰安婦がまったく入れ替わらなかったとして6万、1.5交代したとして9万とする(『昭和史の謎を追う』下巻)。海外にいた兵員数は42年で232万人、45年8月で351万人だから、軍慰安所のなかった地域や内地での軍慰安所の存在を考慮に入れれば、300万人という基数は妥当なところだろう。(p74)

 ところが、秦氏は自分が行った『昭和史の謎を追う』での推計を、『慰安婦と戦場の性 』においてご破算にしていた。まず、基数の300万を修正する。

 外地所在の陸海軍軍人軍属の数は表12-11の通りだが、1944年11月の係数では280万(陸軍)と海軍を合計して母数は約300万人となる。
(中略)
 私は母数を300万人とするのは問題があると考える。この時点(引用者注 1944年11月)からあと南方は全軍敗退期に入っていて、その数か月前に続々と満州、中国、内地から送りこまれた増援部隊は着くとすぐに決戦場へ投入され、慰安所へ通う余裕はなかった。したがって母数を250万人としておく。(pp404-406)

 連合軍の攻勢によって将兵慰安所へ通う余裕がなくなっても、それに合わせ、日本軍が機動的に慰安所を閉鎖し、慰安婦を帰郷させたとは思えないから、秦氏の母数の計算方法は、正しいとは思えない。さらに、秦氏慰安婦1人に対する兵員数を『昭和史の謎を追う』の3倍の150人とする。『昭和史の謎を追う』では、揚州慰安所ビルマ戦線の実例から50人に1人としていたが、『慰安婦と戦場の性』では平時の公娼統計(3000万の遊客に三業*1の婦女約20万)から150人に1人と計算している。この結果、『慰安婦と戦場の性』での慰安婦の総数は2万人前後から2万数千人と、『昭和史の謎を追う』のそれより大幅に少なくなっている。
 以前言っていた説を改めて、新しい説を出すことは、悪いことではない。しかし、『慰安婦と戦場の性』に、昭和史の謎を追う』での推計のことが、全く触れられていないことは、少し不誠実のにおいがする。

 さらに今回の「McGraw-Hill社への訂正勧告」についての会見では、「海外に展開した日本軍の兵力は約100万人」とする大技をくりだした。従軍慰安婦の数については、『慰安婦と戦場の性』での下限値にほぼ同じの2万人を出している。

 これはオフィシャルな統計がないんですよ。1941年までは日本の外務省があちこちにある領事館で統計を取っておりました。中国、満州、日本の国内、朝鮮においては警察がきちんと統計を取っておりました。

1942年以降、日本軍が東南アジアに侵攻して以降は、軍の占領統治ということになりますので、外務省の統計がそこできれれいて(ママ)しまうんです。ですから私は外務省の統計を元にして、色々な角度から計算してみて大体2万人という数字を出したわけです、だいたいがキャンプフォロワーだった、そう考えていいと思いますね。トラックで行ったからキャンプ・フォロワー…とか言いだすときりがないですけれどね。

 『慰安婦と戦場の性』では領事館警察の人口職業統計が第一級の公式統計だが、「満州が原則として1936年まで、中国は1940年までにとどまり、領事館警察を置かなかった軍政下の南方占領地はデータがない」と書いていたが、別の資料があったのだろうか。『慰安婦と戦場の性』では「大ざっぱな推計になるのは承知の上で」と慎重な言い回しだったのが、今回の会見の自信たっぷりな言葉が気になるところだ。
 
 秦郁彦氏ひとりの従軍慰安婦総数の推計の迷走をみるだけで、慰安婦の数だけを従軍慰安婦問題の論点にすることが、むなしいことがわかる。

2015年3月22日追記

秦郁彦氏の『慰安婦と戦場の性』での推計自体がおかしいことを永井和氏が指摘していた。
秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(1):注記を追加 - 永井和の日記 - 従軍慰安婦問題を論じる
秦郁彦氏の慰安婦数推計法の誤謬について(2) - 永井和の日記 - 従軍慰安婦問題を論じる

*1:娼妓・芸妓・酌婦