『第三のチンパンジー』とタスマニア人へのジェノサイド

ジャレド・ダイアモンド『若い読者のための第三のチンパンジー: 人間という動物の進化と未来』が出ていたので、早速、購入の上、読んだ。

 タイトルからは分かりにくいが、『人間はどこまでチンパンジーか?―人類進化の栄光と翳り』に、その後の新しい知見による修正を加えたものである。しかし、分量はおよそ半分に圧縮されている。判型が異なるから、単純に比較できないが、旧版がおよそ600ページあったのに対して、新版は350ページほどになっている。また、旧版にあったあたたかく、ユーモラスな印象が、そぎ落とされてしまって、何やら教科書のようなかたい文体になってしまっていたのは、残念だ。これは、旧版が「です。ます。」調、新版が「だ。である。」調で翻訳されていることが大きく影響しているのかも知れない。
 
いずれにせよ、旧版も新版も読みごたえのあったのが、人類のジェノサイドについての記述だ。筆者は、ジェノサイドは文明の病理ではなく、チンパンジーなどの動物にもみられる「自然の」病理だという考えを打ち出している。(ジャレド・ダイアモンドが、自然なことは、正しいこと、道徳的なことであるとはしていないことに注意しよう)だから、ジェノサイドが一部の異常者が引き起こすことだ、と考えていては、それを防ぐことはできないのだ、とも述べている。

この人類のジェノサイドについての章で最初に取り上げられているのが、オーストラリアのタスマニア島の先住民をヨーロッパからの入植者が、虐殺し文字通り全滅させた事件だ。ところが、このジェノサイドなかったとする、人も存在する。新版には1982年、オーストラリアのニュース雑誌への白人女性の投書が紹介されている。彼女は、タスマニア人が入植者を殺害したことはあっても、その逆はなかった、と主張した。

ところが、タスマニア人へのジェノサイドは、19世紀末にはSFに詳しい説明もなしに登場するほど、有名なことだったらしい。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』の冒頭にこんな一節がある。

(引用者補足:地球を侵略しようとしている)火星人をきびしく責めるまえに、すこし考えてほしい。われわれ人類にしても、バイソンやドードー鳥を絶滅させたばかりでなく、おなじ仲間を非情にもほろぼしてきた。オーストラリアの南にすんでいたタスマニア人は、わずか五十年のあいだにヨーロッパの移民によってほろぼされた。
宇宙戦争 』(偕成社文庫)(雨沢泰訳)p15

発生当時から有名だった事件について、年月の経過とともに「あれはなかった!」という人が出るのは、南京事件とも共通した現象だ。

スマラン事件を個人の犯罪と言うためには

従軍慰安婦問題否認論は、たいてい「軍や官憲による暴力的な強制連行はなかった」と問題を矮小化させつつ、正しくないことを主張するわけですが、これに対し、例えばスマラン事件のことを指摘しても、「いや、あれは個人的な犯罪であって、軍組織の犯罪ではない」という、テンプレート的な反論が返ってきます。それでは、この事件が個人的犯罪だ、と主張できるようにするためには、実行犯はどうすればよかったのか、考えてみました。

上官だからといって俺に指図するなよ。
事件を起こしたのは南方軍の幹部候補生隊ですが、その組織や命令系統を維持して、犯行を行ってはいけません。共犯者を集めるのは仕方ないにしても、「上官に命令されたから、犯行に加わりました」というのはなしです。あくまで個人的な意思で犯行グループに入りましょう。
犯行は軍の権限、資源を使わず、個人的に。
収容所から女性を連れ出す時も、日本軍人と名乗ってはなりません。私服で収容所に行って、「名乗るほどの者ではありません。そちらに収容されている女性を慰み者にしたいので、何人か引き渡してください」と交渉しましょう。もちろん、女性を連行するための車両、監禁する建物も、日本軍のものを使ってはいけません。監禁している女性を監視するのも非番の時にしましょう。
犯行の利益は犯行グループで独占します。
女性を監禁したのは、あくまで、個人的な欲望を満たすためなので、軍慰安所の設置運営のためではない。従って、犯行グループ以外の人間に女性を監禁した場所に近寄らせてはいけません。

とにかく「奴隷制度」を否定したい人

従軍慰安婦問題を語るとき、当時の公娼制に論が及ぶのは多い。従軍慰安婦問題についての本を読めば、当時の公娼制が「事実上の奴隷制度」と批判されていたという知識は、常識として身に付くものだを持っていたら、どうも違うらしい。


 はっきり言えば、ひまわり氏の論は、詭弁である。確かにAとBは等しい。AはXと等しくない。よってBはX、と等しくない、という論理はあり得る。しかし、この場合、かつての日本と現代ドイツが売春についての状況や女性の境遇が、同じだ、と言えなければならない。現代のドイツでは人身売買された女性が、売春に従事していて、それが公認されているなどということがあるのだろうか。そもそも、戦前日本の公娼制についての当時の評価のことなのだから、現代ドイツの事例を持ち出しても無意味なのだが。

年齢ネタは従軍慰安婦問題否認論の定番

[ニュース分析]従軍「慰安婦」は日本陸軍が主体となる典型的な人身売買だった : 政治•社会 : hankyoreh japan

上記のハンギョレ新聞の記事に付いたコメント。

山田 光一郎 · 勤務先: 団体職員
>1922年生まれ)は17歳の時
太平洋戦争始まっていないんだが…どこに従軍させられたんだ?
他の証言もジープで連れ去られたりクリスマス休暇があったり、「MP」の腕章が付いてたってのもあったな。
証拠はない、証言もデタラメ、でも世界中で大騒ぎ。

日本人はもう疲れました。

 従軍慰安婦にさせられた女性の証言がでたらめだといいたいのだろう。
1922年生まれの人間が、17歳の時となると1939年か1940年ということになる。この時には、日中戦争が既にはじまって、軍慰安所が設置されている。だいたい元のハンギョレ新聞の記事に「日中戦争勃発の初期的な1938年の日本陸軍がどのような手続きを通じて慰安婦の女性を補充していったのか、概要が確認できる。」といった記述があるのだ。よほど変わった記事の読み方をしているとしか思えない。

「現在の価値観で、過去を断罪するな」というのはやはり詭弁

「現在の価値観で、過去を断罪するな」という決まり文句がある。従軍慰安婦問題で、よく持ち出されるものだ。どういうものか、南京事件ではこのきまり文句が持ち出されることは少ないようだ。(南京事件では、事件そのものの存在を否定するという傾向がある)当時は軍が管理売春にかかわっていても、問題はなかったのだから、従軍慰安婦制度について、日本軍を現在の価値観で批判するな、というわけだ。
 
 この決まり文句については、下のような、さまざま批判があるが、私も、あえて屋上屋を架して、私も私見を述べる。


法の不遡及との混同

「現在の価値観で、過去を断罪するな」と似たものに、法の不遡及がある。行為時に適法であれば後に法改正があっても違法となったり、刑が加重されたりすることはないという原則だ。日本国憲法39条は「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。」と規定されている。例えば、「喫煙したら、懲役3年の刑」という厳格な禁煙法が施行されたとする。しかし、この法律ができる前に喫煙していた人間が処罰されることはない。この処罰規定の遡及適用が許されたら、特定の人間を狙い撃ちにして処罰することができる。こうした権力の暴走に歯止めをかけるために、法の不遡及の原則はある。また、処罰規定が遡及適用されるような、社会では何が犯罪になるか、予想できず、まともに社会活動をおこなうことができなくなるだろう。
 
 一方、過去の出来事を現在の価値観で批判したとして、前述のような弊害がおこるのだろうか。誰かが刑務所に送られるのだろうか。「現在の価値観で、過去を断罪するな」と言う人が、現在の価値観で、過去を断罪した時、どのような弊害がおこるか説明したものを見たことがない。
 
 逆に過去の非人道的行為を非難できないような社会が、人権や人道性の面で進歩していくということは考えがたい。

当時の価値観とは何だろうか?

「現在の価値観」に対置される「当時の価値観」というものがくせものだ。法律の世界では、刑法が同じ国に2種類あるということはないが、価値観は同じ時代の同じ社会に複数あることがある。例えば、ホロコーストをはじめとするジェノサイドは、加害者にとっては必要なこと、正しいことだったはずだが、被害者がその価値観を共有していたはずもない。どんな非人道的な行為でも、その当時には、それを正当化する価値観を発見できるはずだ。その意味で、「当時の価値観では正しかった」というのは、無敵で無意味な言葉だ。

従軍慰安婦制度も、「軍が売春施設と類似の慰安所を開設し、そこで働く女性を募集しているとなどという話はそもそも公秩良俗に反し、まともに考えれば、とても信じられるものではない。」*1ような代物だったが、現代の日本にも「当時の価値観では正しかった」と主張してくれる熱心な擁護者がいる。

ベトナム戦争時の虐殺被害者への慰霊モニュメント「ベトナムピエタ」の記事についたコメントがひどい。

 従軍慰安婦問題について日本の非を鳴らすと、必ず「韓国だってベトナム戦争時にひどいことをした」と言う人が出てくるのは、もはや「お約束」となってしまっている。
韓国軍が虐殺した民間人慰霊のため少女像作家が「ベトナムピエタ」建立を構想 : 政治•社会 : hankyoreh japan
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160116-00023077-hankyoreh-kr

 ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺を謝罪し、被害者を慰めるモニュメント「ベトナムピエタ」が、ベトナムと韓国に設置される、という記事だが。下のyahoo!ニュースのコメント欄がひどい。「嫌韓」コメントであふれているのだ。これが、民間人虐殺を否定したという記事へのコメントなら理解できないこともない。しかし、記事とコメントがまるで対応していない。もはや、どんなことであれ、韓国を叩きたいと考えているとしか思えない。さらに言うと、虐殺された民間人も「嫌韓」のための材料に過ぎないのだろう。賭けてもいいが、ベトナムで、ベトナムを占領していた頃の日本について批判が強まれば、「嫌越論」が瀰漫するだろう。

俺には関係ないと居直る人

慰安婦基金の10億円を朝日新聞福島みずほ議員が負担すべき、と主張する人がいる。
http://agora-web.jp/archives/1665179.html
石井孝明氏の認識では、従軍慰安婦問題は、本来、問題にならないはずのものが、誰かが騒いだせいで問題になった、ということらしい。

双方が非常に感情的になっている問題だが、筆者も感情的に反応することをお許しいただきたい。納税者として、慰安婦基金と称するものに10億円の支払いはしてほしくない。この問題は私たち日本人にとっては巻きこまれた問題なのだ。

 従軍慰安婦問題について最大の責任者をあげるなら、従軍慰安婦制度を企画立案した大日本帝国の当局だが、いまさら、彼らに金を請求するわけにもいくまい。日本国は、大日本帝国からマイナスのものも含めて遺産を受け継いだのだから、「巻き込まれた問題」と言うのは無責任な言い方だ。

安倍首相のお詫びでは「慰安婦は商行為」「当時の法律が厳密に適用されず気の毒な状況に若い女性が陥った出来事のみに、遺憾とお詫びをする」という一線を守ってほしい。国の責任を認めてはいけない。

上のようなセカンドレイプ的発言がマイナーなものにならなかったことが、従軍慰安婦問題が解決しなかった原因だろう。石井孝明氏は10億円という金銭にこだわっているようだが、国の責任を認めて真摯に謝罪すれば、必ずしも金銭が必要だったとは思えない。「「ごめん」で済んだら、警察はいらない、と言うけれど、「ごめん」が言えたら、警察がいらないことも多い」という意味の言葉を宮部みゆきの小説で読んだことがある。(載っていた本をなくしたので、正確に引用できないが、大意は誤っていないと思う)従軍慰安婦問題で「ごめん」が言いたくなかった、あるいは言えなかったから、今日があるのだろう。