「現在の価値観で、過去を断罪するな」というのはやはり詭弁

「現在の価値観で、過去を断罪するな」という決まり文句がある。従軍慰安婦問題で、よく持ち出されるものだ。どういうものか、南京事件ではこのきまり文句が持ち出されることは少ないようだ。(南京事件では、事件そのものの存在を否定するという傾向がある)当時は軍が管理売春にかかわっていても、問題はなかったのだから、従軍慰安婦制度について、日本軍を現在の価値観で批判するな、というわけだ。
 
 この決まり文句については、下のような、さまざま批判があるが、私も、あえて屋上屋を架して、私も私見を述べる。


法の不遡及との混同

「現在の価値観で、過去を断罪するな」と似たものに、法の不遡及がある。行為時に適法であれば後に法改正があっても違法となったり、刑が加重されたりすることはないという原則だ。日本国憲法39条は「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。」と規定されている。例えば、「喫煙したら、懲役3年の刑」という厳格な禁煙法が施行されたとする。しかし、この法律ができる前に喫煙していた人間が処罰されることはない。この処罰規定の遡及適用が許されたら、特定の人間を狙い撃ちにして処罰することができる。こうした権力の暴走に歯止めをかけるために、法の不遡及の原則はある。また、処罰規定が遡及適用されるような、社会では何が犯罪になるか、予想できず、まともに社会活動をおこなうことができなくなるだろう。
 
 一方、過去の出来事を現在の価値観で批判したとして、前述のような弊害がおこるのだろうか。誰かが刑務所に送られるのだろうか。「現在の価値観で、過去を断罪するな」と言う人が、現在の価値観で、過去を断罪した時、どのような弊害がおこるか説明したものを見たことがない。
 
 逆に過去の非人道的行為を非難できないような社会が、人権や人道性の面で進歩していくということは考えがたい。

当時の価値観とは何だろうか?

「現在の価値観」に対置される「当時の価値観」というものがくせものだ。法律の世界では、刑法が同じ国に2種類あるということはないが、価値観は同じ時代の同じ社会に複数あることがある。例えば、ホロコーストをはじめとするジェノサイドは、加害者にとっては必要なこと、正しいことだったはずだが、被害者がその価値観を共有していたはずもない。どんな非人道的な行為でも、その当時には、それを正当化する価値観を発見できるはずだ。その意味で、「当時の価値観では正しかった」というのは、無敵で無意味な言葉だ。

従軍慰安婦制度も、「軍が売春施設と類似の慰安所を開設し、そこで働く女性を募集しているとなどという話はそもそも公秩良俗に反し、まともに考えれば、とても信じられるものではない。」*1ような代物だったが、現代の日本にも「当時の価値観では正しかった」と主張してくれる熱心な擁護者がいる。