そんな社会で暮らしたくないし、子育てもしたくないな〜挨拶したら不審者

 小学生の頃、「学校に来たお客様には、元気に挨拶しましょう」と教師に教えられた。それを実行したら、訪問客(当然、大人だ)のほとんどが無視した。腹を立てた私は、作文に「大人があいさつしないのはおかしいと思います」と告発めいたことを書いた。考えてみれば、随分かわいげのないことをしたものだが、むしろ褒められた。(なだめられたというべきかも知れないが)
時は移り、大人が子どもに挨拶したら、咎められる時代になってしまったようだ。
子供に挨拶しただけで警察から不審者扱い? ネットで驚きの声あがる - ライブドアニュース
 リンク先記事の「そんなことじゃ、日本代表になれないぞ」。これって、スポーツをしている子どもへの激励としか思えない。他の例も「さすがにこれは、不審者ではないだろう」としか思えないものだ。
 
 このような事態がおこるのは、警察などの当局が、通報された情報をふるいにかけずに、そのまま流しているからだろう。下の群馬県警察本部のサイトに書かれた免責事項(?)にもそれがあらわれている。他の自治体等の不審者情報のウェブページにも、主観的な判断による情報が含まれていること、情報の受け手に判断をゆだねることを注記している例がある。

不審者情報トップページ 群馬県警察
寄せられた情報の中には、単に道を聞くつもりで声をかけたり、善意で声をかけたりした場合等、被害者の主観的な受け止めによって届け出され、行為者に悪意がない場合も含まれています。活用には十分注意してください。

 当局は、明らかに「陰性」とわかっていても、万が一「偽陰性」であっては困るという考えから、情報を流しているのだろう。失笑してしまうような不審者情報が混じるのも、当然だ。

 この過剰な不審者情報は、たびたびネットで話題になるが、たいてい「これは何でも」な不審者情報の例が掲示板などにあげられ、それにコメントが付くというのが、よく見る光景だ。「おれたちはうかうか外を出歩けない」といった自嘲的なコメントでおさまるなら、まだよい。しかし、不審者への過剰反応が、下の記事が指摘するように、社会的排除を引き起こしたり、かえって子どもの危険につながる危険性もあるのだ。警戒すればするほどよい、などとは言ってはおられない。

 むろん、子どもに挨拶するなんておかしいという、悪い意味で斬新な意見もある。
「声かけ事案」は注意しすぎで丁度いいと思う - 田舎で底辺暮らし

日本って、顔見知りならともかく、そんなすれ違う他人に気軽に挨拶するような国じゃないでしょ?
山登りしてる道中とかだとよく挨拶交わすらしいけど、普通に道端で知らない人間がきなり挨拶してきたり話しかけてきたりすることって、生活してて遭遇することってまずない。

そうかなあ、私の住んでいる集合住宅では、ロビーや、エレベータでは、知らないもの同士挨拶するのだが。これは、同じ集合住宅の住民という共通認識のためかもしれないが、私の経験では街中で知らない人間に道を聞かれたり、停留所でバスを待っている間、世間話をすることは、ままあることだ。知らないものが挨拶しないなんて、相互不信にあふれた住みづらい世の中で、そんなところでは子育てしたくはない。第一、犯罪も多そうだ。

結局、子供に挨拶もできない、道もきけないなんて屁理屈は後付なわけで、子供を守るための犯罪への警戒を、なぜか自分を犯罪者扱いしているって結びつけて、アレルギー反応起こしてるようにしか思えない。

 誰でも、犯罪者予備軍の疑いをかけられるのは嫌なものだ。また、不審者扱いされるリスクというのは、全ての人が平等に負担しているわけではない。挨拶したり、追い抜いたりといった無害な行動で全ての人間が不審者扱いされることはない。配偶者や恋人がいなさそうに見える男性が、不審者扱いされやすいと、にらんでいるが、そうした属性を持っていると自認している人びとが、過剰な警戒意識に反発するのは、当然だろう。