ILOの強制労働条約は、戦時においては適用除外だったのか。

yasugoro_2012氏の下記のエントリーを読んで「強制労働ニ関スル条約」(第29号)第2条第2項(d)は、戦時における全ての労務が条約の適用除外対象になるのか疑問だったので調べてみた。
ILOの強制労働条約における戦時徴用の除外規定について感じたこと。 - yasugoro_2012's diary
この条約が規制する「強制労働」に含まれないものを、第2条第2項に規定しているのだが、(d)において緊急時に強要される労務があげられている。

(d) 緊急ノ場合即チ戦争ノ場合又ハ火災、洪水、飢饉、地震、猛烈ナル流行病若ハ家畜流行病、獣類、虫類若ハ植物ノ害物ノ侵入ノ如キ災厄ノ若ハ其ノ虞アル場合及一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムル一切ノ事情ニ於テ強要セラルル労務

 この条文が、従軍慰安婦問題に関連して問題になったことがある。
ILOの「条約及び勧告の適用に関する専門家委員会」 (条約勧告適用専門家委員会)が、その報告書で従軍慰安婦問題で日本が、「強制労働ニ関スル条約」に違反していると指摘した時、この適応除外条項の解釈についての見解が出された。戦時において強制された労務が、強制労働でないとすれば、従軍慰安婦問題での日本の条約違反はないはずである。条約勧告適用専門家委員会の1997年版の報告書に次のような記述がある。(pdf版が下記のリンク先にある)
国際労働機関 ILO 慰安婦問題とアジア女性基金
Report of the Committee of Conventions and Experts on the AppIication of Conventions and Recommendations 1997のpp.83-84

The Committee has pointed out that the concept of emergency - as indicated by the enumeration of examples in the Convention - involves a sudden, unforeseen happening calling for instant counter-measures. To respect the limits of the exception provided for in the Convention, the power to call up labour should be confined to genuine cases of emergency. Moreover, the extent of compulsory service, as well as the purpose for which it is used, should be limited to what is strictly required by the exigencies of the situation. In the same manner as Article 2(2)(a) of the Convention exempts from its scope "work exacted in virtue of compulsory military service laws" only "for work of a purely military character", Article 2(2)(d) concerning emergencies is no blanket licence for imposing - on the occasion of war, fire or earthquake - any kind of compulsory service but can only be invoked for service that is strictly required to counter an imminent danger to the population.

 (拙訳)
 条文に列挙されている例のように、緊急事態とは、突然で予想できない出来事で、応急の対策を要するものである。条約の例外規定の制限ぶりをかんがみれば、当局が強制労働を動員するのは、正真正銘の緊急事態に限られる。さらに、強制労働の目的だけでなく、動員の規模も事態の緊急性によって必要とされるものに厳しく限定される。
 条約の第2条第2項(a) が「純然タル軍事的性質ノ作業ニ対シ強制兵役法ニ依リ強要セラルル労務」だけに限定して適用を除外しているのと同じように、非常事態に関する第2条第2項(d)は、戦争や、火災や地震における、あらゆる強制労働を認めるものではなく、人々へ差し迫った脅威に対処するために、真に必要な労務に限定して適用されるものである。

 この解釈に対し、これは人権意識のすすんだ、1990年代の考えではないか、「当時の価値観」ではない、という反論がありうるだろう。しかし、服部あさ子氏の「ILO強制労働条約と「従軍慰安婦」問題 : ILO条約勧告適用専門家委員会による条約違反認定の法的妥当性」によると、条約起草過程での緊急事態における適用除外の根拠に関する議論において、適用除外の対象となる緊急事態における労働の強制は、通常の強制労働使役の際に求められる、次の四つの要件全てを満たしているものであるという考えが示されていた。

  1. 当該労務が必要不可欠な性質のものであること
  2. 急迫の必要性があること、
  3. 任意労働の獲得が不可能であること
  4. 労働力を徴発する地域の福利に対する配慮がなされていること

これらを見るに、戦時だから、強制的にどのような労働をさせても、条約で規制される強制労働ではない、というのは、むちゃな解釈だ、ということが分かる。

2015年7月11日追記
「強制労働ニ関スル条約」の適用除外項目は、戦場になった地域で住民を動員して教護・救援活動にあたらさせることにあてはまっても、後方の工場や鉱山での労働の強制の根拠には使えそうにない。