和暦が使いにくい理由とその改善方法

 西暦と和暦を使いやすさで比較すると、西暦に軍配があがるだろう。
 和暦が使いにくい理由とその改良方法について書きたい。ただし、改良方法については私のオリジナルではなく、昔、大学の講義で雑談として聞いたアイデアの紹介である。

 和暦の使いにくさは、規則性と予測可能性を欠いていることに起因している。

和暦は不規則である。

 明治以降の元号をみても、存続期間はまちまちである。いつ始まり、いつ終わったかについてまるで規則性がない。(続いた年数はまちまちで、年の途中で終わっている)従って、異なる元号間で年数を数える時に、西暦が必要になってしまう。例えば明治39年は平成27年からみて何年前か、という問いに答える時にほとんどの人は、まず、明治39年は西暦1906年、平成27年は西暦2016年、それから年数を計算するという方法を採用するだろう。明治は45年まで続いて大正になり大正は15年まで・・・という記憶力と計算能力に自信のある人向けの方法もあるが、実用的ではない。いずれにしても、思考力に負担をかけ誤りを生じさせやすい方法だ。和暦を使用するために、基準になる西暦が必要になるが、その逆はない。

和暦は予測できない。

西暦2015年の翌年の2月1日を和暦で表現すると次の3つの可能性がある。

  1. 平成28年2月1日
  2. 未知の元号元年の2月1日
  3. 未知の元号2年の2月1日

 次の改元がいつかわからない。来年か明日か、20年後か。さらに次の元号が何か分からない、というのも問題だ。昭和70年3月31日まで有効といった存在しない日付が記された文書が登場したり、不意打ちの改元で膨大な事務作業が発生する。昭和から平成への改元の時は、パソコンがそれほど普及してはいなかったが、現在は違う。次の改元の時は、マイクロソフトやアップルなどから、日本向け修正ブログラムが送られてくるのだろうが、ブログラムの修正など、大変な事務作業になりそうだ。

和暦の長所と改善方法

 和暦の長所をあげると、時代に名前をつける機能があるということだろう。明治時代、大正時代という言葉には正しいかは別にして、一定のイメージがある。しかし、昭和は長すぎて、人によって思い出すものが違うだろう。「庄和風の」などと言われると、その昭和は満州事変の頃か、朝鮮特需の頃か、それともバブル景気の頃かと皮肉を言いたくなる。
 
 時代に名前を付けられるという、長所を活かしつつ、前述の欠陥を改善するアイデアだが、それは元号天皇の在位と切り離して、25年周期で改元するというものだ。西暦2026年1月1日に改元したら、次は西暦2051年1月1日に改元する。あらかじめ元号のリストを公表しておけば、改元に伴う作業も準備可能だ。
 また、21世紀の第3四半期という野暮ったい言い方を、元号によって簡潔にできる。